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研究成果を使う・消費するときの平均値の意味ってなんだろう

妊娠・出産に伴い、研究事例が載っている本をたくさん読み、初めて研究を「使う」・「消費する」側になったように思います。

そこで驚きだったのが、個人的なイベントを経験する際に「平均値」ってあまり役に立たないかもな、ということです。平均値よりむしろ、「陣痛に気づかなかった」等の、分布の裾の事例が非常に役に立ちました。

これは平均だけでなく分散も伝えましょう、という話ではなく、一般の方が個人的なイベント考える際に、「(全体として稀なんだけど)強烈な個別事例の話」の方がかえってリファレンス(=指針)になるのではということです。

例えば


・重い病気にかかった時の余命
この時医者は多分、余命の平均値を伝えると思うのですが、患者としては(ケースが1だったとしても)、分布の右裾にある情報に希望を見出すことってあるのかなと。水泳選手の池江璃花子さんの例なんてまさにそうかなと思います。

古生物学者のスティーブンジェイグールドが同様に重い病気にかかったときに、「The median isn’t the message」といって自分を奮い立たせたという事例も。(このエッセイすごくいいので、興味ある方はぜひ読んでみてください)

・成功体験事例
中学・高校と真面目に勉強して平均値付近で東大に合格した人の話より、ドラゴン桜的な話の方が世間受けもいいですよね。あるいは、全く勉強せずに東大理三受かった人の話とか。

・失敗体験事例
ワクチンの副作用やレーシックの失敗など、発生確率は低いのにそれに引っ張られて、過剰な恐怖を与えてしまうこともあると思います。これに関しては「利益よりも損益を回避したい選好がある」プロスペクト理論というのがあるらしいです。

普段の研究では、平均的には〇〇と▲▲は相関があるなど平均値を扱っている身として、一般の人における科学的発見の役割てなんだ?、となり研究者としては少し頭を抱えてます。

もちろん平均は平均で重要なんですが。代替案に関してはあまり議論・発展されていないようにも思います(少なくとも僕の分野では)。

もう少しうまくまとめられそうな気もするので、ぼんやり考えてみようと思います。もしこういった分野に詳しい・興味のある方いらっしゃればご連絡いただけると嬉しいです。

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