表現の自分ウケと他人ウケ

ポッドキャスト「恥を抱きしめて」#30「表現の「自分ウケ」と「他人ウケ」〜Dr.ハインリッヒさんへの共感と憧憬」の後書きです。

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音楽をやっていない人に伝わらなくていいと思っていた

バンド活動をスタートした頃から、葛藤してきたテーマがあります。
それが「自分ウケ」と「他人ウケ」。

バンド界隈と違う文脈で出会った人たちから、バンド活動の目的を問われたり(Mステ出たいの?など)、音楽性について首を傾げられるたびに、

「別に売れるためにやってないし。」
「自分がいいと思うものは、たくさん音楽を聴いてない人にはわからないんだろうな。」

そう思いながらも、時間と労力をかけていることを親や友達に関心を向けてもらえないことに、切なく感じることもありました。

10年以上音楽を作ったり活動をする中で、やっと自分なりの「ウケ論争」に決着がついたように思います。

Dr.ハインリッヒ姉さんたちへの共感と憧憬

この話を今回しようと思ったきっかけは、m-1グランプリ2023で実質2位だったヤーレンズさんの文春インタビューと、そのインタビュー記事で言及されていたDr.ハインリッヒさんの文春インタビューを読んだこと。

余談ですが、多くのお笑い好きがそうなように、私は好きな芸人さんのネタだけでなく、ラジオやインタビュー、対談トークなどを読んだり見たり聴いたりすることがすごく好きです。

「お笑い」と「音楽」という形は違えど、表現活動をしている人の葛藤や試行錯誤、仲間との関係性、人間味ある本音のようなものに、自分と通じるものが多く感じられて、勇気づけられたり励まされるからです。

ヤーレンズさんの記事の方では、自分たちが良いと思ってやったネタが、お客さんにはウケるものの、作家さんにダメ出しされ続けていたことが書かれていました。(大阪弁で話さないことなどへのダメ出し)

彼らは作家からの「他人ウケ」(その他にも大阪吉本特有の関係性に馴染めなかったこと)に苦しみ、上京して事務所を辞めます。
そして東京の劇場で、芸歴や事務所を飛び越えて、面白いネタをやっている芸人たちに刺激を受けて芸を磨いていきます。

彼らが上京する前の苦しい時期に心の支えとなったのが、双子の女性漫才師Dr.ハインリッヒさんたち。
彼女たちもまた、双子であることや女性であることをネタにするよう作家にダメ出しを受け続け、その「他人ウケ」「自分ウケ」のギャップと戦っていたのでした。

めちゃくちゃリスペクトしてますね、ハインリッヒさんのことを。自分の芯、譲りたくないものがあるんだったら譲らなくていいんだっていうのはお二人から学んだことです。(出井)
(中略)
姉さんたちは自分が面白いと思ってることを、お客さんにやる。自分が面白いと思ってることを表現してウケてる芸人が一番強いんですよ。(楢原)

文春オンライン ヤーレンズ・インタビュー#1

Dr.ハインリッヒさんは、ネタで双子や女性を扱うことだけでなく、テレビ番組でセクハラの強要、愛想よい返しをする、など、「女の役割」を求められることにショックを受けたといいます。

そこで二人は、テレビに出るのをやめて、劇場に出ます。
とにかく面白いネタで漫才をすることで強くなろうとしたのでした。

作家やテレビ番組制作者からの「他人ウケ」を受け入れず、「自分ウケ」や自分たちの信念を軸にした思い切った決断をしたヤーレンズさんとDr.ハインリッヒさん。
ネタや自分たちと向き合い磨くことで花を開かせている二組の話に、強く共感をし、励まされました。

ランドセルを背負った小さい女の子

さてインタビューでは、二人の発言の随所にフェミニズムが入っています。インタビュアーはそれが自分たちを守るために必要としたのではないかと投げかけます。

――お話を伺っていると、Dr.ハインリッヒさんがこの世界で生きていくために、自己防衛としてフェミニズムが必要だったんじゃないかと、そんなことを感じました。何か大事なものを守るため、それはネタだったり、自分たち自身だったり。

幸 そうですね、今もそう。守りたいものは、魂ですよね。自分の魂、それは自分そのものやし。その魂と呼んだものをもうちょっと具現化すると、ランドセルを背負った小さい女の子なんですよ。

――小さい女の子。

幸 その子がつまんなそうにしているんです。その子を笑かさなきゃ、なんです。で、そのつまらんそうにしている女の子って、要するに自分で。そういう女の子は地球に半分おるわけです。

文春オンライン Dr.ハインリッヒインタビュー

この「ランドセルを背負った小さい女の子=自分を笑かす」という軸にも、自分と共通するものを見出していました。

バンド音楽だけが私を分かってくれた不登校時代

私が「バンド音楽をやりたい」、と思った第一歩目は、小学5年の3学期という多感を極めた時期に転校をし、いじめられた末に不登校になった孤独な頃でした。

友達もいないし家族にも理解されていない感覚の幼い私は、近所のレンタルCDショップで借りたバンド音楽に、居場所を見出しました。

「この音楽だけは私をわかってくれる。私は生きていていいんだ!」

たくさん曲を聴き込み、このような曲を作りたい、こういう人になりたい、と望むのは自然なことでした。

コアな音楽を好きなことと作ること

音楽を聴き進めるにつれて、自分が好きな音楽はコアなものになっていきました。(例えばいわゆる90s emo、midwest emo、ポストハードコア、などとくくられるもの)

これらの音楽は、前述の通り、そういうバンド音楽に疎い人からは魅力や活動の目的が理解されづらいところがあります。

しかしいじめや不登校をきっかけとした対人不安や多くの人間関係のトラブル、親とのコミュニケーション不全などがあったことから、自分の居場所である「コアなバンド音楽」が理解されないことを、嬉しく感じる側面すらありました。

「孤独な中身を浸した自分だけが分かる、特別な場所。秘密の宝物なんだから・・・!理解しなくていいよ、されたくもないよ〜ん!」
そんなことを感じていたのだと思います。

そもそも自分が詳しくないことに対する解像度が低くなること、扱いがぞんざいになることは、至って普通なことです。

例えば私はフレンチ料理のコースがあまり好きではありません。
オードブルの複雑で繊細な味の素晴らしさを、造詣に深くない私が食べても、良さがわからず、首を傾げながら食べ終わり、お腹が膨れた頃に大好きなステーキが到着します。
「やっとお肉が来たけどお腹いっぱいだよ、量少ないなあ、・・・あ、これは美味しい!」

なんて思ってしまうように、バンド音楽をよく知らない人がコアな音楽や商業的成功が目的でない活動の良さを分からないのは無理ありません。

コアな音楽界隈からの「他人ウケ」も鬱陶しくなった

さて、バンドをやっていない人からの「他人ウケ」なんていらないよ、とつっぱねながらバンド活動をしていた私でしたが、過去にも話してきたような、バンド界隈やメンバーからの痛烈なコメントや扱いの数々に辟易。

音楽を聴いていない人だけでなく、コアなバンド界隈からの「他人ウケ」までも鬱陶しくなってしまったのでした。

他人の声で頭がいっぱいになり、自分の声が聞こえなくなってしまったというのがより正しい表現かと思います。
何を言われるのかビクビクして、何も言われないために行動を選ぶようになり、息苦しくなっていきました。
そこで私は、外の声を全てシャットアウトすることを選び、自分の声をゆっくり聞いていく時期に入りました

試行錯誤をしながら、ソロプロジェクト(現mamariri)を慎重に立ち上げました。

自分が本当に好きな音楽はどんなものなのか、どういう曲をどういう状態で演奏したいのか、どんな形で活動をしたいのか。
ギターや歌の練習アプローチを変えたり、音楽理論を学び直したり、曲を何十曲も作ってはボツにしたり、それまでやったことない方と演奏してみたり…。

そんなこんなで作った1枚目のアルバムは、それまでの活動で「他人ウケ」した要素を一切排除した、「自分ウケ」だけで作り上げました。

この曲いいねへの嫌悪感と和解

1枚目のアルバムが出てから、バンドメンバーとのコミュニケーションを密に繰り返したり、それまでの界隈とは別のところでライブをしたり、MVを作ったりしていきました。
信頼できるメンバー、信頼できる音楽仲間が自分を支えてくれるようになりました。

そして目の前のお客さんが身体を揺らしてくれることが嬉しくなったり、演奏しているときにメンバーと波に乗っているような感覚が楽しく感じだしました。

そして、自分も好きだし、きっとみんなもこんなのすごい好きだろな、
ライブでこんな反応させてやりたいな、こんな感覚でメンバーと演奏したいな、
というふうに、「自分ウケ」だけでなく「他人ウケ」を意識して作り上げたのが「Your Crush」でした。

この曲は思った通り、ライブで演奏しても、MVを出しても、アルバム配信をしても、反響がありました。

さて気難しいようですが、「この曲いいね」と言われることが私は本当に嫌いでした
例えるなら、10人腹を痛めて産み育てた子供のうち、「次男君はいい子だね」と言われたような感覚。
「え?全員いい子ですけど。なんですか。評価しちゃうなんてそういうあなたは何様なのでしょうか?あなたのお子さんはいかがなものなんでしょうか?」

怖いけれどそういう感覚が正直今も軸にはあります。(こそり)
それだけ、大切に、魂を削って書いている自負があるからです。
聖域だからです。

ただ、今は、前とは違って、
「そうね、次男は社交的だからね。ウケはいいかもしれないわ」
なんて思いながら、そんな褒め言葉も頷き聞き流せるようになりました。

そしてそもそも気にかけてくれるのも、頑張ったものがちやほやされるのも、シンプルに嬉しいのです。

不登校だった自分のような子にも届ける

3枚目のアルバムに向けて曲を書き溜めている今。
「Your Crush」同様、「自分ウケ」かつ「他人ウケ」もするような曲を少し多めに作っています。

それは先に触れた、Dr.ハインリッヒさんがいうところの「ランドセルを背負った女の子」に届けること、そして、バンドを好きになったきっかけである「不登校の私」に届けることを考え始めたからです。

歳をとったって、女だって、母になったって、こんな風なことできるよ、生きてみるもんだよ、君もなんかやってみてもいいんだよ、といった気持ちで、あの時孤独だった自分、そして自分のような子たちに向けて届けたい。

そのためには、より多くの人に聞いてもらえることを意識する。
そんな着地点に立ち始めたのが今回のセカンドアルバムなのでした。

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