To Fill the Gap

ギャップを感じませんか?私だけかもしれませんが...。昔から四十にして惑わず(=不惑)という言葉がありますが、私は恥ずかしながら40歳を過ぎても迷ってばかりです。それどころか時々頭の中で、彷徨ってすらいます。

子供の頃、将来大人になって「おじさん」と呼ばれる年齢になったときにはどっしりと構えて、それなりに物知りになり、ささやかだけど尊敬されもして、まあまあそれなりの待遇で生活してるんやろなぁ...と考えていました。しかしそう言う年齢になってもバタバタしています。なんでバタバタなのか?その大部分はギャップを埋めるためかなぁとふと思いました。

教師という職業柄、まずは10代との若者とのギャップ。まあこれはこれで、そのギャップを楽しんでいる部分もありますが。でももう一つは時代の流れとのギャップ。これは上から目線で楽しんでいる場合とかではないなぁと...。ICT, VUCA, Society5.0, シンギュラリティetc.とにかく時代は変化の固め打ちをしてきます。まず、今書いているnoteなんて知りもしなかったし、自分がやるなんて思いもしなかった。まず教えてもらわなければ素通りでした。運良く、この存在に気づかせてもらい、書いていく中で自分自身の気持ちと頭が整理されている感じです。そこで気づいたのが「ギャップ」!

しかしふと思ったのは「ギャップ」を感じるのは変化に何とか食らいついている証拠なのかと。例えば、野球でいうと、バッタボックスで「やば!追い込まれたわ」と思いつつも、何とかボール球には手を出さず、ストライクっぽい球は、ファールで粘っているような状態。そのうちタイミングがあってヒット打つかもしれない。そして克服したと思ったら次のピッチャー出てきて、また同じようなことを...。

まあこれからも、実際にギャップは感じるでしょうね。またそれは自分一人ではなく、周りの人達も同じだと思いますが。しかし世間のギャップに惑うことがなくなったら「私の場合」ですが、現役引退かな、と。その時は「静かにバットを置きます」のように「静かにチョークを置きます」いや古いなぁ。今の時代だから「静かにタッチペン置きます」とでも言うのかなぁ。いやいや、もう少しギャップに敏感になっておこう。

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