Decentralisationについて考える際の心構えについての殴り書きメモ

現代のキーワードの一つ「Decentralised/Decentralisation」について頭を整理する必要を感じている。以下、寝る前の時間で書ける範囲の書き殴りのメモを残しておく。

まず日本語訳だが、「分散型/分散化」だとdistributed/variedといった意味にとらえると少しずれ、「非中央集権」だと「集権」のところが少し重すぎる気がするのが悩ましいが、適宜使い分けるしかなさそうだ。

分散化/非中央集権化への希求は当然、centraliseされた制度やシステムへのアンチテーゼとして出てきたものだとみなしてよいだろう。そこには、従来のシステムより機能的に優れているから/機能不全を補完できるからといったプラグマティックな動機もあるだろうし、分散性は本質的に望ましいのだという思想的・規範的な理由から推している人もいると思われる。

なぜ非中央主権型にメリットがあるのか。これは扱っている組織やシステム(例:企業、非営利組織、科学コミュニティ、etc)に即して、丹念に分析すべき事柄であり、別途考えたい。また、非中央集権的なシステムにはメリットとデメリットがあり、デメリットを押さえ込むための技術や知恵が、とりわけブロックチェーン技術を中心に盛んに議論・開発されているのが昨今の状況だというふうに見える。

このメモで書いておこうと思ったのは次のこと。この言葉を使うと、どうしてもDecentralised(D)vs Centralized(C)の二項対立に議論が見えがちになる。しかし、DとCの間にはグラデーションがあるし、より重要なことに、D-Cの軸は一つではない。分散性/非中央集権性という性質それ自体の多元性を意識することが大事なのではないか。

たとえば、中央集権的な資金を得ている組織が、分散型で運営されているケースはあるだろうし、中央集権的な組織が分散的な資金を得る場合も当然ある。分散型組織が、GAFAなどによる中央集権型の情報プラットフォームに依存するのも普通のことだ。こうした様々なバリエーションを、「DかCか」という一次元の二項対立で語るのは無理がある。

だから「分散型○○」を推進したい人、またはその意義を知りたい人が問うべきは、それが「どのような意味での中央集権性(C)の弊害に対処すべく、どのような意味での分散性/非中央集権性(D)を取り入れようとしているのか」なのだろう。

中央集権の権化と思われるようなガチガチのシステムであっても、そこにまったくの分散性の要素が含まれないということはないはずだし、逆に「分散型○○」のなかにも、どこかに中央集権的な要素が残るはずだし残っていいはずだ。

そんなことを念頭におきながら、「Decentralised/Decentralisation」について考えていきたい。

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