どういうつもりで生きているかの説明(弁明)

一日中、考え事をしている私だが、実はほとんどの時間は「これからどうやって生きていくか」について悩んでいる。そんなことに興味がある人はいないのでWebにはほかのことを書くようにしているのだが、今日は少しだけ書いてみようと思う。というのも最近、いろいろな活動をやり散らかしていることもあって、「一緒に〇〇しませんか」「〇〇で話して/書いてくれませんか」と依頼をいただくことが増えてきた。大変ありがたい。基本はありがたくお受けするのだが、お断りしなければいけないことも出てきていて、その際には、自分が何ができて何がしたい人間なのかを多少は説明する必要を感じたりもする。また、「将来的にはこういうことで頼られてみたい」という願望を少し表明しておきたい気持ちもある。自分がどういうつもりで生きているのかについて、自分用の確認と、説明の練習と、本記事を目にされた方への開示を兼ねて、書いてみる。


まず自分には「キャリアを積み上げる」という発想が持てない。まあ、振り返れば自業自得で、大学院でも前職でも現職でも、「5年後こうありたいから今これをする」という計画性をまったくもたずに過ごし、その都度与えられた仕事をできるだけ楽しめるように工夫しながら、組織や顧客の期待にできるだけ応えることに力を注いできたように思う。その結果、学位も、資格も、事業立ち上げなどの「次につながる」経験は何も蓄積せず、気づいたら35歳。ここまで来たら、これからもキャリアプランを持たずに進むしかないと思っている。(ただし、一言断っておくと、家族への責任を果たすこと、家族と楽しむことは優先順位の上位にある。)そのうえで、「できるような気がすること」「個人的にやりたいこと」「世の役に立ちたいこと」がそれぞれある。

まず、できること。スキルと呼べるものは多くないが、何らかのテーマについて文献調査やインタビューを通して調べて文章にしたり「ポンチ絵」にしたりすることは、ある程度要領よくできるように思う。何かに専門性があるわけではないので一定の浅さで許容されるものに限るが、そのような能力を生かせる仕事で職を得ていくのだと思う。(生成AIに代替される日まで、かもしれないけれど。)あと、大学一年生のようなコメントになってしまうが、できれば多少は英語を使う仕事をしたい。昔から海外の人とコミュニケーションすると元気が出るので。

個人的にやりたいのは、勉強をして、分かったことをブログその他でアウトプットすること。とくに、科学についてアブストラクトに考えたり、「脳を理解するとはどういうことか」に関する議論の動向を追ったり、「記憶の科学と哲学」について考えたりするのは、キャリアと接点が一切なかったとしても続けたい。それを何らかの科学コミュニケーションの活動とつなげられたらなお嬉しい。とくに「研究者との共著」での文章作成はチャンスがあればぜひやってみたい(2回ほど経験があり、いずれも非常に学びになったし、かつ良いものが書けたと思う)。

いろいろな人に支えられて生きている限り、世の役に立ちたいとも思う。いま、公的機関の調査部門の仕事を3年ほど続けて、少しだけ「機会の窓」というか、「この辺に世の中をよくする余地があり、そのレバーを押すことに自分が1㎜くらいは寄与しうるのではないか」といった問題意識が芽生え始めている。まだ具体的に言語化はできないのだが、研究開発を含む「未来への投資となる活動」にリソースを流していくことに関係している。自分にできる範囲で、今いるところでできることは今いるところでしたいと思うし、次の場所でも、せっかく得たこの視点を生かしていけたらと思っている。あと、もう少し料簡の狭い、漠然としたビジョンのようなものがあるが、それについてはまた改めて言語化してみたい。

「できること」「個人的にやりたいこと」「世の役に立ちたいこと」のミックスのうち、その都度どれかに偏りながら行動していくことになると思う。要領がよい働きぶりと、絶望的にお粗末な仕事、一見チャリタブルで公共な言動と、エゴイスティックで打算的な行動、気楽で楽しそうな姿と、辛くて仕方がない様子、いろいろ混ざってめちゃくちゃになると思うが、こういうことなのだと自他に説明(弁明)していきたい。

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