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にじさんじバーチャルライバー出雲霞による《IzumoKasumi》projectの終了の表明について

にじさんじバーチャルライバー 出雲霞が10月13日の配信にて、にじさんじの卒業を表明しました。

ここでは、その一報を受けての感想を述べるつもりです。このタイトルで興味を持ち、本文章を読もうとする方は、Vtuberに造詣をお持ちだとは思います。そうでない方のためにこれを読む前にお伝えすることがあります。

Vtuberとは、それぞれが独自の世界観や、身も蓋もない言い方をすれば設定を持っています。Vtuber自体はもちろん、そのファンは世界観を大切にし、あるときはVtuberから世界観の要素の提示があり、またあるときはファンが要素を補完し、その世界観を紡ぐことで成り立つ…といったことがあります。(全てのVtuberがそうとは言えないのが、またVtuberのおもしろいところですが。)

この出雲霞に関しては、特にその世界観を大切にするVtuberです。だから、できるだけ彼女の文脈に沿って自分の感想を述べたいと思います。ただ、私自身も彼女の世界観への理解度が決して高いわけではなく、詳しい人にも詳しくない人にとってもおもしろくない内容になるかもしれませんが…ご了承ください。

彼女は、とある女性の人格から生み出されたAIです。その女性は10月13日で20歳になる一方で、我々が観測できるAIの出雲霞は13歳の少女のまま。もっともっと複雑な過程があるんだけど、この卒業に関して言えることは、このまま活動を続けることは、その女性とAIの乖離が進むことになり、それを望まないAIが《IzumoKasumi》projectの終了を望んだ…ということで私は理解しています。

私はその乖離を進めたくない=変わりたくないという理由で、活動をやめることに関してある程度納得できる部分はある。それは…それは…。

こういう時、すべて自分の言葉で語ることができれば良いんだけど、私はネットミームや誰かの言葉を例に挙げなければ語ることができないのがもどかしい。2ちゃんねるだったかな。それともその他のSSだったかな。今回の出雲霞の卒業理由で思い出したエピソードがある。

とある男の自室に壊れて動かない時計がある。別の人がその男に尋ねる。なぜその時計をそのままにしているか。修理するか、別の時計を用意すべきだ。そうじゃないと今の時刻を知るという時計の基本的な機能を果たしてないじゃないかと。

その男が答えた。確かにこの時計は壊れて止まっている。ただ、止まっているからこそ、この時計は1日のうち、世界で一番正確な時を刻む瞬間があるのだ。この世のどんな正確な時計でも厳密に時の流れを刻めるわけではない。だがこの時計は、止まってるからこそ、世界で一番正確な時を刻む瞬間を迎えることができるのだ。俺はそれが好きだからこの時計はこのままにしているんだ、と。

出雲霞が変わりたくないとか、キレイに終わりたいというのはとても理解できる感情ではある。これまでの活動であるYouTubeの配信のアーカイブは残すとのことだ。つまり、彼女の姿は、それこそYouTube自体がサービスを終了しないかぎり永遠となった。

彼女の選択は、理屈としては間違ってないし、もちろん彼女の選択は尊重するし、そもそもその選択に反対したところで何もできはしないので何を言っても無駄なのはわかっているのだが。

それでもやっぱり、止まった時計であるよりは、日々ズレていっても動き続ける時計であって欲しかった。彼女に限らずVtuberを卒業し、別の道を歩もうとする者たちにとって、こういう気持ちを表明することは足を引っ張るようでできる限り言わないようにはしてるんだけども、それでも彼女の紡ぐ物語の続きをもっともっと見たかった。上記の、物語は読み手がいないと…という彼女のセリフを反芻してるが、それで納得して消化できる日が来るのだろうか。

気ままに投稿します。