見出し画像

ことばって大切で


僕は話すことが好きで、自分の味わった嬉しいことや辛かったことを話し、共有する、いわゆるアウトプットをして初めて過去のこととして記憶に留まる気がしています。



しかしそんな僕は、しゃべるのが遅く、口数は多くなく。幼少期からそんな感じで、「いつも眠そう」だとか言われることがよくあります。



話し下手だとは思いたくないのだけど、21歳にして改めて考えた、「ことば」についての認識を書き並べてみたいと思います。


ことばえらび


誰と話すかで、ことばえらびのフィルターは変わります。決して態度を変えているわけじゃないよ。


ゆっくり、慎重にことばを選んでいそうな相手には、おなじ温度でことばを返せるように。対してその場の時間を繋ぐために会話を求める相手には、できるだけ軽いことばで。

パターンで言い表せるものではなく、ことばえらびのモードやアンテナ、フィルターは様々です。


話し下手なりにことばえらびには気をつけて会話をしているはずだったはずなのに、相手の気持ちをすり減らすように、知らずに鋭いことばを放つことがあるらしい。

何度も振り返るけど、ことばえらびには人一倍気を付けているはず。自然に雑なことばを発することはしていないつもりだったけど、ある人に言われてハッとしました。



「ことばが出るまでに時間がかかったり、発することばが多くないでしょ。だからこそことばに重みを感じるよ。」



気をつけてことばを選べば恥をかかないし、相手に不快な思いもさせず、伝えたいことの本質的なことだけがこされて届くと思っていました。

アンテナを張って話を聞いてくれるような相手にとっては、ただの話し下手ではなく、ことばに重みを持たせてしゃべる人だと認識してくれていたのでした。


とはいえひとつひとつ脳裏に焼き付けるようにことばを重く理解してほしいわけではなく、感じたこと、考えたことに余計な要素が絡まっていない状態で、生のままで届けたいだけで


僕のことばの本質的な特性を見抜いてくれたその人のことばえらびは、やさしく自然で、でもときどき雑でした。


今は、それくらいがちょうどいいなと思って影響されようと試みている最中です。


苦手なことば


あなたにとって苦手なことばはありますか?


暴言やみだらなことばを除いて、日常的に使われることばの中で苦手なことばがあるとしたら、きっとどこかでことばについて考えさせられたシーンがあるのでしょう。


僕がすぐ浮かぶ苦手なことばは、「かわいそう」ということば。


かわいそうということばは、基本的に自分自身に用いることはほとんどなく、誰かが相手の状態を客観的に決めつけ、発することばのように思います。おめでとうとか、かわいいなんかの仲間なのかな


よって、困っている人や泣いている人に投げかけると、かわいそうな状態にあることに強制的に気付かせられてしまう強く残酷なことばでもあります。



がらっと変わりますが、僕の好きな詩人 茨城のり子さんのことばに、こうありました。

私の嫌なことば、聞き苦しいと思っている日本語は無数にある。出せと言われたら、随分沢山出して見せられるだろう。
(中略)
否定的な側面を指摘するのと同じくらいのエネルギーで、美しい言葉に対するエネルギーを掻き立ててゆきたいし、多くの人の、いろんな形による発言を聴きたいものだという願いが、私にはある。

この文を読んで、苦手なことばなんか意識しているのがばかばかしくなると同時に、すてきなことばをキャッチするアンテナを広げたくなりました。それにもまたエネルギーがいるけどね。


手のひらにある、ことばのフィルター


顔を合わせて会話をするよりも多くなってしまいがちなコミュニケーション手段である、SNSやメールなどの画面上でのやりとり。

個人的なこだわりだけど、予測変換って余計なフィルターだと思っています。


例えば、恋人に気持ちを伝える時。大好きってことばを予測変換から漢字を選んで・・・と普段通りの入力と同じ手順で選ぶのって、なんだか味気ないというか本質的なものが伝わらない気がします。


だから、フィルターを通さずに、ひらがなで、なおかつ予測変換を無視して丁寧に打ってみたり。


友達へのおはようも、またあとでねも、ある程度ラクに済ませたくても、そこに他者からは気付かれない自分なりのこだわりを入れることで、あえて放つことばの重みを自分で再認識させることができるような気がしています。


ダンブルドアのことば


かの有名な魔法学校の校長は、このように残しています。


言葉というのは尽きることのない魔法の源じゃ。人を傷つけもすれば癒やしもする力がある。


長く続いたハリーポッター シリーズで伝えたかった核の部分を見られたような気がしたこのことば。

話すことは、唯一人間のみが持つとされる難しいコミュニケーションツール。あたりまえだけど、もっと丁寧に、的確になんて思わなくても、自然に求めることばえらびができるようになりたいと感じさせられました。



たくさんの自戒もこめて、ことばに対する個人的な偏見を書き並べました。

すてきなことばをたくさん吸収して、すてきなことばを放つ人と仲良くしていけたらいいな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?