見出し画像

自動車の設計⇔製造と建築の設計⇔施工の関係は似ている

 私が入社した時の自動車製造部は怖かった。事務3号館という建物があり、製造部を統括する部署がいるのだが、そこで設計×製造で打ち合わせがある日は本当に憂鬱だった。製造部の方々は何とも言えない凄みをもって設計に接してくるからだ。

 設計×製造で打ち合わせをするときは、大抵の場合、何か設計が図面でミスをしたり、一度決めた方針を変えたりするときだ。その理由を理論立てて説明するのだが、そんな理論だけで動いていない現場からは当然反発が来る。1度で決まる事はなく、何度も足を運んでようやく納得してもらうことが多かった。

 私が入社したのは2007年、海外生産が毎年数十万台の規模で拡大しており毎年どこかの国で工場が新しくできていた。1つの設計変更、方針変更でも世界中にある工場にそれを展開して、実行していく大変さを製造部は背負っていた。その窓口となる人の凄みの裏には何百人、何千人の苦労があったのだと思う。

 ところが2010年代後半から製造部の凄みが消滅していった。海外展開がひと段落、海外国内生産が減少の一歩をたどり、製造の仕事が少なくなるにつれ、部署の役割も減少していったからだと思う。逆に何か仕事はないか?と製造部から設計に”お伺い”が来るようになった。そう、設計と製造のパワーバランスは需要と供給のバランスで決まる。

 建築の場合も長い目で見れば設計と施工のパワーバランスは需要と供給で決まる。自分はまだこの業界に入って1年ほどなので、どちらの需要が強いのか十分わかっていないが、1つ言えるのは設備設計の需要が高いという事。自分が15年前に対峙した凄みのある人間になれるとは思わないけれど、需要にこたえるというのは無理やり商品を売るより健全な精神を保てるのでいいことだと思う。

 人の態度や行動、そしてもしかしたら自分の固有と思っている性格さえも、置かれた環境、組織、需給バランス、時代背景など、見えないものとの関係性で形作られている。一度サラリーマンになると自分の所属を選べないので考えなくなるが、これからの時代、所属する企業や業界、その中での仕事は意志を持って選ぶ必要があるなと感じる。それが自分を形作る一番の要素なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?