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【設備設計】プエルトリコ人も設備設計をする。

 8年ほど前、自動車会社で、プエルトリコ人の同僚がいた。名前はジャック。プエルトリコがどこにあるかも分からない人が多いと思うが、北米のカリブ海にある島国の一つ。キューバにも近いが、キューバが社会主義国だったのに対して、プエルトリコはアメリカ経済圏で自由主義の国だ。友人はキューバに生まれなくてラッキーだと言っていた。

 ジャックは30代後半で独身、一言で言うとラテン人だった。毎朝9時ごろ、イヤホンで音楽を聴き、柄シャツを着て、レッドブルを飲みながら仕事をしていた。夕方17時ごろになるとソワソワし始め、18時には帰っていた。

 彼は頭が良かったが、真面目ではなかった。日本では真面目≒頭がいいというのが一般的だが、実はそうではない。日本の記憶型の詰め込み教育はやった時間だけ成績が伸びるので、そう思われがちだが、国際基準では頭がいい人≒楽して稼ぐ人なのだ。

 ジャックは頭がよかったが、それ以上に自由に生きていた。アメリカの拠点から日本の本社に赴任すると赴任手当が結構出たらしい。ポルシェも買ったといっていた。あまり報じられることはないが、自動車会社において、日本本社の給料より海外拠点(特にアメリカ)の給料は日本の1.5倍から2倍程度ある。その分物価も高いが、日本におけるエンジニアよりも海外のエンジニアの方が圧倒的に稼いでいる。しかも仕事量は日本より圧倒的に少ない。

 仕事では彼は誰に評価されるかを非常に意識していた。担当していた車両は世界で販売する車なので、左ハンドルと右ハンドルの両方があったのだが、右ハンドルの仕事は決してしなかった。図面も描かない。なぜやってくれないのだ?というと、右ハンドルは自分の仕事ではないという一点張り。このスタンスを貫くのは日本人では無理かもしれない。

 そんなジャックと私は意外と気が合った。月一くらいは一緒に夕飯を食べに行った。毎回他愛ない会話をするのだが、話すたびに彼女が変わっていたように思う。仕事はプライベートのための糧で固執するものではないというスタンスを強く感じた。仕事が嫌ならやめればいい。普通のことを本気で言える彼がうらやましかった。

 何回も変わった彼女だが、帰国間際にはロシア人の学生と付き合って、結婚する予定だといった。アメリカへのビザがなかなか下りずに苦労していた。ウクライナ進行をした今では本当に無理かもしれないが、ラテンパワーでなんでも突破するジャックなら何とかするかもしれない。

 彼が帰国して2~3年後、会社を辞めたと聞いた。外国では同じポジションの人間が複数いて、自分の方が出世が遅れると、自然と会社を去っていく文化がある。ジャックは頭のいい男だったが、アメリカ人から見ても勤務態度がいまいちだったのだろうか。。。

 そんな彼は水道やガスの配管を計画する会社のマネージャーに転職したと聞いた。設備設計の”せ”の字も知らない私は、その時はなんとも思わなかったが、その5年後自分は設備設計と出会いジャックと同じ職業についた。人生は奇遇なものだ。

 普段当たりまえ過ぎて意識しないが、世界中で建築物が建てられている。アメリカだろうがヨーロッパだろうが、どの国でもある程度の規模の建物には設備設計者がいるだろう。いつかジャックにまた会って、どんな設計をしているのか聞いてみたい。きっと彼の設計する設備は破綻しないレベルで自由に満ち溢れている気がする。


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