見出し画像

アゲハのサナギ

うちのベランダにあるレモンの木には毎年アゲハチョウが卵をうみつけて、幼虫が葉っぱを丸裸にして、運が良ければサナギになって蝶になる。
今年はいまのところ3匹いた幼虫が2匹サナギになって、1匹は蝶になり、今日、残りの1匹が羽化に失敗して死にました。アゲハの幼虫はウィルスにやられて茶色くなって死んだり、蟻に連れていかれたり、蜂に肉団子にされたり、とにかく過酷な運命を背負っている。私はレモンを育ててあわよくば収穫したい立場であるものの、毎日毎日みているもので幼虫たちについつい肩入れしてしまい、数が減るたびに悲しくなってしまう。あまりに毎日毎日みているので、自分がレモンを育てているのかアゲハを育てているのか、あるいは蜂や蟻を育てているのか、よくわからなくなってくる。おそらくその全部なんだろう。
何年か前にサナギが羽化に失敗したときは悲しみのあまり脳がよくわからない境地に達してしまった。ベランダで勝手に産まれて勝手に育った虫が勝手に死んだのだからとくに私には関係ないはずなのに、こいつはサナギになってドロドロに溶けている間、空をとぶ夢なんかみてたのかな、なんて考えはじめるともうダメである。そもそもそんな状態で夢などみるのか、というより昆虫に自我があるのか。この個体は死んでしまったけど、アゲハ(正確にはナミアゲハです)としてはそれも想定内の出来事として種として存在しつづけている。この個体の自我はアゲハの種としての自我に統合され、幼虫を食べた蜂や、幼虫に食べられたレモンや、レモンを収穫してレモンサワーを作った我々にも遍在するのではないか。どんどん考えてわけがわからなくなってしまい、何かを悟ってしまった。
今年もまた、ありがたいことにレモンが実りそうだ。アゲハはまたやってきて卵を産むだろうし、あわよくば我々はレモンサワーを作る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?