少女神クマリ
少女神クマリをしっていますか?
クマリ(Kumari、Kumari Devi)は、ネパールに住む生きた女神である。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレージュやアルナプルナの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。(Wikipediaより)
私はかねてより、世の中の創作物が世界が危機的状況になった時に、少女に世界の命運を任せすぎではないか?ということに対して疑問を持っていました。大人でも右往左往するような大ピンチに、年端もいかない女の子を矢面に立たせるようなシーンって、自分が少女を卒業してから振り返ってみると、異様に感じます。ナウシカも綾波レイも鹿目まどかもみんな周りの大人がなんとかすべきであって、同じような少女達がみる成長物語というわけでもないのに、我々大人である視聴者が傷つきながら立ち向かう健気な少女達を高みの見物だなんて、ちょっと気持ち悪い。これは一体なんなんだ。クマリの存在を知った時に、このことを思い出しました。私はこの「健気な少女達を戦わせる風潮」がもともと巫女や生贄といった民俗学的風習から発生したものではないかと思っていて、我々日本人が(クマリも同じだとすると日本だけでないのですが)持っている文化的背景が根っこにあるのではないかと思うのです。自分が育った文化に根ざしたものだから、自分が少女だった頃にはそんなに違和感を抱くことはなかったし、自分から戦いに赴きたいと希望する少女もいるでしょう。
近年、クマリに選ばれた少女達の人権についての議論が行われるようになってきているとのこと。日本の場合は直接戦いに行くのは架空の少女達ですが、実在の少女達が同じように綺麗で健気で純粋であることを求められる風潮がないわけではない。自分が育った文化を否定する必要もないし、みんなの理想を目指すのも個人の自由。でも、その文化に違和感を感じたり、女神なんかやめたい!って思った時にはそんなの目指さなくたっていいし、それで誰かの価値がなくなるわけじゃない。
クマリにならなくても、クマリをやめた後だって、人生は続く。
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