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中途半端な属性について

唐突に自分の話をします。

私はそこそこ頭がよい子供でした。どれくらいの頭の良さか?というと、小学校ですべての教科がダントツでいちばんであり、大手学習塾から授業料免除するからぜひ在籍してくれ、と言われる程でした。クラスのお楽しみ会の友達に質問しようコーナーでは、クラスメイト全員からなぜそんなに頭がいいのか?という質問をうけとりましたし、田舎では女の子が頭がいいのはネガティブな評価を受けるため、親戚一同からは物心ついたときから男の子だったらよかったのに、といわれて続けて育ちました。普通に友達と遊んだりして暮らしていましたが、田舎では常にどこか「頭がよい」という属性を通してみられているようで居心地が悪く、普通になりたいといつも考えていました。そして私はそのまま塾や予備校にいくことなく、すんなりと東大に進学します。

今、すごいなあ、と思いましたか?実は全然すごくないんですよね。小学校でいちばんも東大にはいる(偏差値でいったら75とかだと仮定すると)のも、頭の良さが上位0.5%〜1%程度である、というだけです。いいかえれば、100人〜200人いたら1人いる。100人に1人の才能じゃ、オリンピックにもでられない、せいぜい国体どまり。モデルやアイドルにもなれない、せいぜい近所で評判の美人どまり。その程度です。

東大は基本的に頭がよく、ある程度の努力ができる人しか入学していません。そこで私ははじめて、頭の良い人ではない属性をてにいれます。ちっちゃくて若くてかわいいね、まあそういう属性です。東大という集団の中では属性のレア度が かわいさ>頭のよさ になったわけです。

頭がいいことでしか評価されない、とか顔がいいことでしか評価されない、とか属性でしか評価されないことで悩んでいるとしたら、それはあなたがたいしたことないという事。オリンピック選手に足が速いですね!とか将棋のタイトル持ってる人に頭いいですね!とかいいますか?属性を評価する人は、社交辞令みたいに適当なことをいっているだけで、本当にすごいとは思っていないのです。そして私のような中途半端な人間がよくわからないレッテルと戦っている間に、本当になんらかの属性が抜きんでいる人はその辺にはおらず、別のステージでもっと有意義な戦いをしているのです。

属性しか見ない人への憤り、属性のヒエラルキーで下位になってしまった人からのいわれのない悪意、そういったものは本当のトップではなく中途半端なところに寄せられてきます。でも中途半端とはいえ私がサバイブするために最大限に利用してメリットを享受してきたのも事実。私に配られたカードはエースではなかったけど、10とか絵札とか、そこそこ強いカードでラッキーだったのです。配られたカードで勝負していかなきゃいけない時に、めんどくさいことを考えている暇はありません。使えるものは最大限利用すればいい。属性しか見ない人は、私にその属性がなければどうせ存在にすら気づかないし、悪意を向けてくる人は他のターゲットを探すだけ。彼らにとって私自身などどうでもいいのです。私にとっても彼らはどうでもいい。属性で判断されることにこだわるなんて、いちばん囚われているのは自分ではないか?そんな気がした私は絶対にバカのふりはしないし、学歴も隠さなくなりました。わざわざ自分からいうほどたいしたこともないので、アピールはしないですけど。

今でもたまに頭いいですねえ!と言われることがあります。まあまあですね、と答えることにしています。実際まあまあ頭がいいので。

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