見出し画像

中学生なりの、それぞれのサバイバル

親は地元で商売をしていた。当時としては珍しい商売だった。
小学生のときはさほどでもなかったが、中学では好奇の目を向けてきたリ、嫌悪する教師もいた。

「おまえらには嫌な思いさせたよな」と、父が言うので
「わたしはそうでもなかったよ。先生当たりがよかったんだと思う。」と言ったら
父は「おまえは真面目で素直だったからなぁ。」と言う。

姉は反抗的だったから目をつけられたというのだ。
たしかに、そうだった。
わたしに対して「おまえの姉ちゃんはなぁ・・」と姉の悪口を言う教師もいたりして、さすがにその時は「先生って足短いですね」と睨みつけたら、その場が凍りついて、その教師も二度と姉の悪口は言わなかった。
姉の目線にたてば、しかたないのだ。好奇の目で見てきて、皮肉を言う教師に対しては、その理不尽さに反抗的にもなろうものだ。教師を教師として、目上の者として見ていた証拠かもしれない。

わたしはというと「先生だって人間だもの」と思っていた。
皮肉を言う教師がいないわけじゃなかったが、そういう人にはなるべく寄り付かないでおこうと思った程度で、別段腹はたたなかった。

くだんない。けど、まあ、先生も人間だからね。そんな感じでスルーしてた。
そんな大人の相手をするより、もっと楽しいことがあるし、もっと面白い人もいるし
教師だからといって、皆が同じなわけはなくて、変な好奇心もなく生徒の一人として接する人もいて
っていうか、そういう教師の方が多かった。

すべての大人が人格者でないことくらい、身近な大人で十分わかっているし、教師だって例外ではない。教師なんだから子どもに理不尽に接してはいけないなんて、無理難題もいいところだもの。

理不尽な扱いをしようとする大人には、知性を感じなくて興味も持てなかった。何も学べないなら、わたしにとっては必要なかった。必要ないし、どうでもよかった。どうでもいい人が何を言っても、わたしは傷つくことなんてないわけで、だから、腹も立たないし反抗もしなかった。

積極性に乏しく活発でもなくおとなしかったので、真面目で素直に見えたのだろう。

今にして思えば、なんという上から目線!先生、すみませんでした、、
わたしはかなり態度のでかい子どもだったんです。
まあ、、子どものことなので堪忍してください(^-^;

反発するのが姉のサバイバル、上から目線がわたしのサバイバルだったのかもしれない。中学校という小さな世界でも生き抜いていく必要はあった。

皆それぞれ、その人なりのサバイバルをしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?