見出し画像

望まれること、望むこと

わたしは相手が何を考えているのかを察する能力がとても低い。ASD値がそこそこある発達凸凹グレーゾーンなので、基本的に、言ってくれなきゃわからないのだ。「え?嘘でしょ?」って言われるけれども、察しているのではなくて、単なるデータベース処理なのだ。
これまで生きてきた経験と知識を総動員すれば、ある程度は憶測できる。その憶測も間違っていることはある。所詮わたしという個人の経験と知識でしかないから、あたりまえだ。間違いだったら、これは間違いというデータが増えるので、データベースとしては質があがる。
ただ、そのデータベース検索能力に長けている。それだけのこと。
友人が言うには「仁さんは釜爺みたい」だそうだ。薬草の棚から必要なものを後ろ手にサッと取り出してくるとのこと。言い得て妙だ。

こんなわたしだが、最近わかったことがある。
わたしだって察してしまうものがあるんだ!ってこと。

相手がわたしに対して自ずから望んでいるのかどうか?
これだけは感覚的に入ってきてしまう。察することができるとかできないとかではなくて、察してしまうのだ。

わたしが「こうしてほしい」と伝えると、自ずから望んでいなくても相手がやってくれる場合がある。わたしのことを大切に思っているから、ちょっと頑張ってくれるのだ。
大切にしてくれてありがとうって感謝する。相手からの愛を受け取る。温かい気持ちになる。

もちろんそれは幸せなことなのだけれど、嬉しいというのとは少し違うみたい。

わたしが「してほしい」ことと、相手が「やりたい」ことが一致したとき
わたしは物凄く嬉しくなるようだ。

要するに贅沢者なのだww

この贅沢が満たされることが、先日ポロっとあって、とてもとてもとても嬉しかった。

白雪姫の継母が鏡にきく。
「世界で一番美しいのは誰?」
鏡は継母を大切にしたくて嘘をつく。
「それは女王様です。」
継母は気づく。本心じゃないよね?
それがわかっているから、鏡は嘘をつかない。
継母の間違いは
世界で一番美しくなくても愛されるんだってわからなかったこと。
鏡はこう言えばよかったのかもしれない。
「わたしにとって世界一の人は女王様です。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?