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あの時一緒に

私が小学校5年生のとき、秋の運動会で親子でも参加できる100ḿ走があった。父が「一緒に走りたい」と言うものの、私は乗り気ではなかった。

最終的には「一人で走る」と父に伝えた。

理由は、父が同級生のお父さんに比べて老けて見えたからだ。まして私は父親似ときている。一緒に走って同級生に笑われるのが嫌だった。もっと恰好いいお父さんならばと願ったことも数知れない。

夕飯の時に愚痴っぽくそのことを伝えると、苦笑いしながら「徒競走がんばれよ」と励ましてくれた。

当日、私は一等賞だった。仲間から「すごいね」「おめでとう」と言ってもらえた。校庭の外れに父の姿をみつけた。一人での一等賞。

もし父と手をつないでいたら何等だったろう…。父は大きな拍手を私に送ってくれた。両手を挙げて喜んでくれた。

きっと一緒に走りたかっただろうな。心がチックと痛んだ。父は、あの夕飯の後に 「一緒に走りたい」と二度と口に出さなかった。

昨年、父が脳梗塞で倒れた。瞼を閉じたまま手術室に運ばれる父の手を握りながら、「大丈夫だから」「がんばって」と伝えたとき、ふと父が「徒競走がんばれよ」と励ましてくれたことを思い出した。振り返ると、何時も何処かで私を応援してくれている父の姿が思い出された。

手術は成功したものの左足に麻痺が残った。そんな父の手を取り、今は一緒に歩きたいと思えている。きっと苦笑いしながら父は恥ずかしがるだろうが…。

  父毎に子を念う(妙法蓮華経譬諭品第三)


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