じゃりみち

うちの前の道は、じゃり道だ。
周りの人には、不便だろう、と言われる。
雨が降れば、砂利が流れて、穴が開いてしまったり。
草刈りをしなければ、すぐにやぶになってしまうこの道。
毎日生きていうrかのように様変わりする、170mのじゃり道。
じゃり道と、友達のように付き合ってる。
雨が降って、車が通って、穴が開いてしまうたびに、犬が拾ってきた石ころや、瓦を割って、埋める。
いつの間にか石畳のようになっている。
だんだん膨らんでくる、ワダチの真ん中も、イノシシがミミズを取るために、牙でならして、ちょうどよく削れてる。
うちの前を通って、墓参りに行く人が、たまに声をかけてくる。
「草刈り大変だね。」
そんな会話も舗装されてしまったら、無くなってしまうのだ。
人の汗や、会話や、努力が、じゃり道を作っていて、
また今日もジャリジャリと、その上を走る
生きていることは、じゃり道みたいなものだと思う。
いつなくなるかわからないような道の上を、僕らは、何十年か、ふわふわとうろつくだけのことだ。
アスファルトの上で育ってきたからか、僕はじゃり道が好きだ。
じゃり道の世界の方が、やわらかい中で人生を生きている実感が持てる気がする。