動機について

日本は何かを始める際、例えば入社試験や入学試験などある種の集団に属する際に、その集団に属したい理由を必ず聞かれる。

これは、大いなる矛盾だと思う。その集団に属したことが無い人は、その集団に属する状態を体験していないため、その集団に属することで自分がどうなるのか?は全くの創造でしかないからだ。「組織に所属しないとできないことがあるから」「組織に所属した方が社会的な庇護を受けられる」多くの場合、この2つではないかと思う。

では、どうして至る所で志望動機合戦が繰り広げられるのだろうか?それは、志望動機を言わせるのは踏み絵をさせる意味があるからだ。例えば会社であれば、能力があり仕事をこなせれば組織に対して愛着を持っているか否かは、問題ではないはずだ。しかし、組織に愛着が無い優秀な社員は会社にとって不安定要素である。優秀な社員は仕事ができるため、より条件のよい他社へ転職することが容易である。そのため、虚構でも良いので社員に組織への愛着を抱かせる必要がある。そのための「志望動機」と求めて、それにより虚構・幻想の愛着を育成させるのだ。

仕事が楽しい場合が往々にしてあるが、その多くはスタートしてから楽しさが高まる場合だ。つまり、志望動機があろうがなかろうが、その組織に属して活動を始めて、それが面白いかどうかが問題だ。その過程において、組織に愛着を持つ人も居れば持たない人もいる。それは、志望動機の有無とは関係ない。

志望動機を求める社会だから、虚構の愛着を育成させる行為が横行する。その結果、虚構の愛着を扇動し厳しい労働環境を強いるブラック企業が発生しやすいと考える。


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