Tumbling down ×3

 赤い空に紫の雲。幻想的な映像の中で僕は君と向き合う。
「世界に2人しかいなかったらね……」
僕がそうやって君の瞳を見る時に、瞳の中には僕がいる。
「それは大変なことね」
君は東か西かどちらかも分からない空を覗きながら呟いた。

………………
 
 月の浮かぶ海の中で私は溺れていた。水の向こうから声が聞こえる。
「世界に2人しかいなかったらね……」
声はそう言って沈黙した。青い世界の中には何もない。
「それは大変なことね」
私はそうやってもっと深くに落ちていくと水圧に押しつぶされた。

………………
 
 秋の空は高い。まだ紅葉仕切っていない山の色は一年の中でも最も鮮やかだろう。くだらない冗談が全てを白黒にしていく世界の中で山の色だけは生き残っている。黒板の文字が消された時、隣にいた君がこちらを見る。
「何を見ているの?」
僕は今一度いわし雲を見つめてから君の方を振り向いて言う。
「まだ色の残っているもの」
君はふーんと言うと再びノートに目を落として、シャーペンを動かした。ノートにはつまらない文字が羅列されていた。

………………
 
 くたびれたスーツはよく言えば年季が入っている。あれから数年が経ったということを物語るその姿を私は寂しいと思った。
「雪はまだ降らなそうね」
私は手を空にかざしてあなたに話しかける。あなたは私と空を見比べてから
「まだ暖かいからね」
と言った。あなたの瞳には私が写らない。みぞれを待っているうちに落ち葉が舞い上がった。

………………

全てが無に帰せばいいのにと思う日が人生の中には一度くらいあるだろう。今の僕たちはそんな気分だった。君が言う。
「そうして水圧に押しつぶされながら終わるの」
その時きっと僕は浜辺に上がって月を眺めているんだろう。君のことを考えながら月が落ちてくることを望むんだ。だから僕はこう言う。
「月が落ちて来ればいいのにね」
空が真っ赤に燃え上がるのだ、今!

………………
 
 私たちは世界が終わる日を夢想する。雪が降るのにとっても暑いあの日を。太陽が降ってくればいい。だから私は言う。
「そうして太陽が落ちてきて全部燃えるの」
そしたらあなたは笑いながらこういった。
「きっと僕たちは海の中に逃げてやり過ごすのさ」
それはなんだかウミガメに導かれそうな虹色の海だった。だから私は溶けそうになって
「お囃子の音が聞こえてきそうね」
と魚なのかカモメなのか分からないフリをする。
「懐かしいね。そんな未来もあった」
あなたは何故かそれを知っている。私も。
「その後にはコスモポリタンで乾杯でもする?」
私がそう問いかけると、あなたは私の手を掴んで
「今からやればいい」
とバーに駆け込んだ。
 バーの中は暗い。お互いの顔もよく見えない中、二人でコスモポリタンを頼む。薄い赤色の──それはピンク色とも呼ばれて差し支えない──液体を胃に流し込む。
「退屈しないことと危険なことは表裏一体さ。危険を冒さないところに虹色はない」
私とあなたは二人で同時にそう言うと、ハモった音が店を壊した。暗い空に赤い月が浮かぶ。何もない大地の上で唇を交えると、海が現れた。
「太陽が降るまで待っている?」
私がそう言うと、あなたはポリポリと頭を搔いてから空を指さす。
「月が落ちてくる方が早そうだ」
確かに月は見たこともない大きさになっていた。

………………
 
 僕は彼女と何もない浜辺で月が落ちてくるのを眺めていた。アルコールが頭をぼんやりとさせていた。彼女の瞳には虹色。それは赤い赤い白い虹色。
 不意にその首筋の白く美しいことに気がつくと、僕は彼女の首に手をかけていた。
「気持ち悪い」
使い古されたイディオム。雪が降るのを待つことは出来なかった。
 水がせり上がってくる。

………………
 
 彼が私に手をかけた時、月はもう白くて、つまらないという気持ちになった。これはもう古い。
 だから私はされるがままにしようと思った。水が私たちを飲み込む。

………………
 
 電車の中で踏切の音。とはいえ、僕は踏切を待っていた。君が踏切の向こうで待っている。白いワンピースは、血でできた染みが目立つ。
 電車が通り過ぎる。昔の自分を乗せた電車。踏切が上がると僕らは互いに駆け寄って抱き合った。線路の真ん中でキスをする。
 すると線路を残して全てが消えた。
「またなのね」
君がそうやって呟くと、悪い二日酔いみたいだ。
「アルコールを思い出す」
「赤いアルコール?」
彼女がそうやって聞き返すが、僕は残念ながら何も覚えていない。
「分からない」
「そっか。雪が降れば思い出せるかもね」
そう言って彼女は、線路を歩いていった。
「暑くない?」
僕がそう聞くと、彼女は振り返って僕を一瞥して
「まぁそんな格好してたらね」
と言いながら列車に轢かれた。
僕は、自分がコートを羽織っていることに気がついて、コートを脱ぐと、列車の中でネクタイを外した。
 列車の中ではまだあどけなさの残る君が、僕のことを覗き込む。その瞳には僕が写っている。
「雪を見た事はある?」
彼女がそう問いかけた時、僕の首は捻じ切れた。僕の身体が雪になる。雪が血しぶきに染まる。
「そっか、雪ってこんなに赤いのね」
彼女の認識を訂正するには、僕の首が腐るのは早かった。

………………
 
 こぼれ落ちた水晶の中で、あなたが死んでいくのを眺めていた。あなたは私に問いかける。
「拾わないの?」
捨てられた過去や未来を拾い集めても仕方がないじゃないと思いながらも
「そうね。拾わないと」
そんなことを言いながら屈むと、あなたが顔を覗き込む。
「無理してない?」
今更そんなことを言われたって……
「そんなことないわ」
そう言うと彼は安心したような顔で、水晶をつまみ上げる。
「気持ち悪い」
気持ちが言葉として出てしまった。彼がびっくりしたような顔でこちらを見つめる。
「なんでもないわ」
「無理しないでよ」
「そんなことを言いながら、あなたはだって口だけじゃない」
そう言うと悲しくなって、虹色の大粒の涙がこぼれ落ちた。涙は水晶と混ざって、どれが本当の世界かはもう分からなくなってしまった。
 私も彼も途方に暮れていると、太陽が空から降ってくる。導き手はいなかった。
「このまま死んでしまうのかな」
あなたはまるで未来を知っているかのように答える。
「世界に2人しかいなかったらね……」

………………

 何も無いからもう怖くない。そうやって傷から逃げることが許されるのは思春期までだと言うならば、人生を生きるなんてことにはうんざりだ。僕はそう思いながら、自分の決断を背負ってドロローサを下って行った。君をゴルゴダの丘に残して。

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