五月の大陸で

まだまだ青い田んぼ。山。青い空。白い雲。電柱とそれを結ぶ電線。それよりも高い位置で、送電塔に吊るされた高圧架線が風と戯れている。窓の外に映る景色から春とも夏とも言い難い生命の香りが飛び込んでくる。陽射しはすっかり夏の様相であるが、植物と香りは春のようだ。もう完膚なきまでに冬というものは追いやられて久しい。こんな景色を見る度に、僕はあの物語の中の高校生活に憧れる。もう高校時代など随分と昔のものになったし、あれがあくまでも物語の中の話でしかなく、仮に今から高校時代に戻ったところで、物語が再現されることはないと知っていても、それでも憧れるのだ。僕らは皆きっとどこかでそのような原風景を抱えているのだろう。それはある時には、麦わら帽子を被った白いワンピースの少女が夕暮れ時に踏切を待つシーンであるとか、あるいは郊外の集合住宅で飛び降り自殺をする少年だとか、そのような形で表現される。またはもっと未来方向に時間軸を駆けていくような原風景も有り得るのかもしれない。しかしあいにく僕にはそれを想像することは困難を伴う。この困難は、時間観念に対して一種の固定観念、すなわち時間というものは過去から未来に進むものであるという考えに起因するのだろうという指摘は、かつての友人がしたものだった。しかしもはやその友人がどちらへ行ったのかは知る由もない。もしかしたらあの友人は未来から過去に向かって歩んでいるのかもしれないし、そうだとしてもそれほど驚くことはないように思える。
 今この景色から見える風景は、少し前にあった戦争の惨禍というものを感じさせない。田舎の被害が小さかったのだということもあるのだろうが、しかしそれにしても全く戦前と何も変わらない日常が、あるいはノスタルジーが広がっている。街の方に行けば、まだあまりにも多くの戦争の痕跡を垣間見ることが出来る。中には傷痍軍人のたむろするような路上もあるとかで、そこはきっと生々しいほどに硝煙と死臭が漂っていることだろう。せめてもの救いは、既に歴史となって久しい第二次世界大戦とは違い、僕たちの国は戦勝国であるという点であろうか? しかしそれが本当に良いことであるのか、僕には全く自信がない。戦勝国ではあるけれども、本土は空襲で焼け野原となったし、原爆もまた落ちた。しかし同じ程度か、それ以上に僕たちは殴り返したし、流れた血の量は計り知れない。
 僕たちは戦争に勝った。そしてだから僕たちは今ここにいて、この景色を眺めているのだろう。気がつけば、車窓に映る景色の中にはチラホラと家屋が増えてきたし、列車前方にはビルディングらしきものの影も見える。この地にも爆弾は降り注いだはずであるし、それはそれほど昔の話でもない。しかし既に建物はニョキニョキと生えているとなると、これはきっと新しい植物の一種なのかもしれない。
 先輩がこの景色を見たとしたら、一体これを見て何を思うのだろう。そうして目の前を見てみると、どうとでも読み取れるような寝顔をしている。その姿は僕の口元にカフェオレを運ぶには十分なものだった。
 数日前、突然彼女から連絡が来た時、僕は複雑な心境になった。この複雑さはなんと言っても若干の喜びがあったからなのだろう。今も僕はそれを押し隠している。人の不幸をここまで喜べてしまうのだとしたら、僕の倫理性はただでさえ世間一般とボタンをかけ違えていると言うのに、救いようもなくなるのでは無いかと思う。先輩は若くして未亡人になった。
 僕が先輩に出会ったのは、高校でのことであった。入学したあの日、新入生の勧誘に勤しむ部活生を横目に、もう随分と花びらの少なくなった桜の木にカメラを向けていた。その横顔を眺めながら歩いていたら、それは多くの人とぶつかることになった。一人の生徒が勧誘の列から抜け出して、その人に声をかける。彼の首元からもカメラがやはりぶら下がっていた。先輩たちは写真部だった。
 その後僕も先輩の後を追うように写真部に入ることにしたが、僕の青春はそこで終わる。なにか物語みたいな甘酸っぱい展開など許さないかのように、先輩には婚約者が居たのだった。
 この話を大学時代に中高が男子校だった友人に話したら、それは十分な青春だと怒られた。しかし僕は彼女に告白をしたこともないし、せいぜい頑張って彼女と同じ大学に入ろうと勉強をしたくらいなのだ。確かに写真部に入ったことで、カメラは好きになったし、戦争が終わったことで、カメラを仕事にすることも出来たけれど、それは青春と呼べるほど虹色なものではなく、淡々とした灰色の日常でしかない。
 列車のアナウンスが目的地の駅に着くことを告げる。先輩と起こそうとして、躊躇う。もう彼女は先輩では無いのだ。冬川さん、と声を掛けかけて留まる。彼女はもう冬川姓ではなかったのだった。ずっと冬川先輩と呼んでいた高校時代・大学時代を思い出す。そしてそれまで一度も呼んだことのない呼び方しか今は使えないのだということに、やはりカフェオレを飲みたくなる。しかし既に、彼女を起こそうとしているこの体勢から飲み物を飲むのは不自然で、僕は少し乾いた喉を唾を飲み込んで濡らしてからその名前を発する。
「ほのかさん」
言ってからすぐに喉がひりつく。
「駅に着きましたよ」
肩をたたく。
 先輩、いやほのかさんはすうっと目を開いてからキョロキョロと辺りを見回してから、
「着いたの?」と聞いてくる。
「着きましたよ」と僕は答えると、そのまま降りる用意をするように促す。先輩はまだ少し眠そうではあったけれども、サッと用意をする。
 僕らは二人でかつての戦場であった、吉林に降り立った。満州国吉林省の省都はすっかり復興して、日本の地方中枢都市ほどの様相を見せていた。陽光に照らされたほのかさんの表情はこちらからは伺えない。この植物的なビル群は、彼女の伴侶の骸を栄養にそそり立っている。あの窓ガラスに、あのコンクリートに、あのアスファルトに、彼女の伴侶を含めた日本人と朝鮮人と中国人とロシア人とそしてアメリカ人の血が染み渡っている。硝煙の匂いが、砲弾の轟きが、前線の兵士が啜った泥水の味が、まだ残っているように感じるのは、僕だけではないはずだ。僕がそのように感じるのならば、ましてや……。しかしほのかさんはすぐに眩しいわねと言うと、大きな白いハットと大きなサングラスで顔を隠す。結局僕は、彼女の心持ちが分からない。
 彼女がこの旅路に僕を誘った理由、僕はそれを未だに聞き出せていない。それはひとつには聞くことが怖いからであって、おそらくほとんどがそれだけなのだが、少しだけ何も聞いてはいけないような雰囲気を感じているのだ。東京からここまで、2日半の鉄路の最中、結局僕たちはほとんどを互いに言葉を交わすことなく、外をぼんやりと眺めて過ごしていた。大陸に近づけば近づくほど、戦争の傷痕は大きくなっていた。しかし鴨緑江を越えたらそれは再び小さくなって、奉天に着く頃には日本の首都圏とほとんど変わらない姿を見せていた。僕は奉天で降りた時のほのかさんの言葉を忘れない。
「まるで何も無かったようね」
僕は誘われたものの戦争の開始によって立ち消えた中国旅行の話を思い出す。僕が受験生の頃、大学生活を満喫していたほのか先輩は、友人らとともに中国各地を旅行して回っていたのだ。その様子はインスタを経由して僕の元にも届いていて、僕はなお一層受験勉強に励んだのだった。彼女は戦前にもここに来ていた。
 満州国は戦後、日米資本のテコ入れによって急速に成長していた。その成長は、大慌てで戦争の記憶を塗り潰さんとするかのようであった。こんなことが可能であるのは、ここが最前線であったからだ。敵味方の塹壕の入り組んでいたこの満州の地では、味方を殺すことになる原爆は落ちることがなかった。放射能の危険のない新天地。今では多くの日本人もまた満州国に移住しており、それは昭和10年代を彷彿とさせる。
 気がついていても言ってはならないことがある。この戦争のきっかけを、戦勝国たちは忘れてしまったのだろう。いな、ある意味ではもはや思い出さなくても良いのだ。もはや東側などというものは解体されたのだから。全てはアメリカ帝国の手のひらの中で、これより100年のパクスアメリカーナが繁栄の幕を開けるだろう。そのために払われた血液の量を忘れるほどの繁栄が。
 僕はこうやって国家やらなんやらといった大きな物語と結びつけなくては、ほのかさんが抱えているであろう深い悲しみを理解できないのだ。今の我々の立つ足場に、彼女ら未亡人の涙が広がって、そのまま僕らは溺れていく。僕たちが口を開かないのは、開けないからなのだ。もう窒息するほどの涙が僕らを隔てている。
 ほのかさんと僕は、市電に乗って郊外に向かう。塹壕の跡が、史跡として保存されようとしているらしい。僕は思う。あの大戦は史跡とするには時間が経っていなさすぎる。しかしせっかちな資本主義はもう戦争を観光資源としてリサイクルしようと試みているようだ。まだその塹壕でパートナーや最愛の人を失った人がこれほど大勢居ると言うのに。銃後の悲しみは、戦勝の喜びに上書きされて、傷痍軍人と共に街の暗い隅に追いやられている。街は冬は終わりだと祝杯をあげる。僕も、彼女から連絡があるまでは、憮然とした面持ちでそのグラスを掲げていた。自分の中にある何かモヤモヤとしたものが、彼女によってこじ開けられた時、戦争の始まりと共に封じた感情が、再び前意識の扉をノックしたかと思うと、もう目の前には戦争の悲しみと虹色への憧憬が広がっていた。超自我は倫理的であろうと抑圧し、エスは生への衝動を駆動させる。エゴが全てを調整した時、僕はグラスを床に叩きつけた。ガラスの破片とビールの泡が床を覆って、それがまるで今の僕らを表しているようだった。
 僕らは塹壕に手を合わせる。彼らの命が無為なものとなることなく、学ばれ歴史になって、同じ誤ちの起こらないことを祈る。こんなことは戦前のヒロシマでも何十年も繰り返されたことではある。そして我々はきっと同じ誤ちをもう既に繰り返してしまっている。それでも、僕らはきっとまたいつまでも祈り続けるのだろう。銃後の悲しみを忘れない為に。
 ほのかさんはそれは長いこと、塹壕の前に立っていた。今では塹壕の大部分は埋め立てられてしまっているが、この塹壕と続くどこかの塹壕で、彼女の伴侶は銃を持って、敵を殺し、そして砲弾に打ち砕かれたのだろう。ほのかさんの後ろ姿こそが、戦争の悲しみと記憶を留めるものに違いない。僕はそっとカメラを構える。西日が彼女と塹壕を照らす。勝利の裏にあるこの悲しみを僕は仕事として撮らなくてはならない。一枚の写真を撮る時は、確かにそれなりに緊張するものだ。しかし今日の震えはきっとそれだけでは無いのだ。レンズ越しに、彼女が肩を震わせているのが見えた。僕は彼女がまだ祖国のために命を落としたあの男を愛しているのだと知る。もう喜びなどどこにもない。ここにあるのは悲しみだけだ。悲しみと悲しみが塹壕を満たす。シャッターを切る。震える手で。こんなことなら三脚を持ってくればよかった。何とか商品になる写真が撮れた。僕は彼女の後に塹壕の前に立って、彼女と同じように肩を震わせた。しかしこの悲しみは戦争とは無関係なものなのだ。ただ僕にはあまりにも手の届かないものが、この世界にはあるということなのだ。だから僕はこれからもシャッターを切るだろう。
 それから、僕は彼女には会っていない。あれからまた10年ほどが過ぎた。戦争はもうすっかり歴史になった。僕にはもう妻子もある。 [了]

四季杜 理世

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