ノウゼンカズラとオリオン座

 焼かれた肉を啄んでいるとあたかも野性のようであるが、実際のところそれは極めて文明的行為である。火を使うことは人類の特権のひとつと言えるし、肉を焼くという行為はまさにその最たるものであろう。であるから、目の前の友人Aがそれを野性の発露のごとくかぶりついてるのを見るとこちらとしては呆けてきてしまうのだ。そこで私は馬刺しを食べながら、こちらの方がそちらよりは幾分か野性的であろうなどと嘲ってみても暖簾に腕押しで、彼はこういうのは実際的な文明なんてどうでも良くて心持ちの問題なのだと言い出す。
 全く始末に困るが、しかしそれはそれとて火の調節はしてやるのだ。ものが燃え、灰となって崩れ去るさまは美しいのだから。しかし友人Aはそういう美学も分からない。一体彼は何を考えて生きているのか。おおよそ何も考えていないのかもしれないなどと勘繰ってみるが、しかしよくよく考えてみると、自分もそんな大層なことを考えては生きていない。結局自分も彼も大差のない人間なのだろう。類は友を呼ぶ。しかしそれで言うなら、おおよそ人類の多くというのは元来友達になれそうなものだ。博愛主義が目覚めそうになったところで煙草を一服やると差別主義的心情が復活するだろうか?
 そんなことを考えながらタバコケースを開くと、友人Aはある一本の煙草を指差して、それはなんだい、珍しい煙草だね、と聞いてくる。私は応えて、シガリロというまぁ葉巻さ、とその煙草を取り出す。へぇと言いながら彼は肉を食べきると、どれか1本くれよと煙草をせがむので、ハイライトでいいかなど多少のやり取りをした後に、私は彼の煙草に火をつける。友人Aがこれも文明的かねと聞くので、極めてと応えると私たちは二人紫煙を空にたなびかせる。山の上で吸う煙草の美味しさについてはもう今更語ることなどないほどに語り尽くされているし、皆さまに置かれましてもやってみればすぐに分かることだろう。
 こんな感じで私たちは二人きりの慎ましやかなバーベキューを楽しむと、もう特にそれ以上することも語ることもなくなった。
 気がつけば空には星が広がるなどということもあればあるいはやがて朝日も登るだろう。
 慣習的なものを破壊できるほどの強靭な認識力の持ち主はあるいは仏陀などと呼ばれて崇められるのやもしれないが、私は現実からは逃れられないのだ。
 そこにノウゼンカズラの花が咲いている。それなのに空にオリオン座が月と戯れていたとなると、私は一体どうすれば良いのだろうか。幻惑的な雰囲気は何もドラッグによって作り出したものでは無い。私たちは常に至って合法的だ。
 だいたい地球環境も大概めちゃくちゃであることを考えれば、多少空が冬で、地面が夏だからといって、不思議に思うこともなかろうなどとふざけたことを言っても良いのかもしれない。だいたい私たちは現在場所を指定していないのだから──いや正確には山の上でバーベキューが出来るところだという指定はあるが──ここが南半球なのだとすれば決着するのかもしれない問題でもある。ところで南半球からオリオン座は見えただろうか? 見えなかったような気がする。
 しかし一方で月は南半球でも見えるのだから、よく分からない。全天球について考えてみると、数理的に詳しく知らなくては上手く理解できない箇所が出てくる。しかし全く見識がない私にはその辺のことはさっぱり分からない。
 月とオリオン座が戯れているのを見て、にこやかになれるのはギリシア神話を知っているからであって、アルテミスとオリオンが結ばれた空というのは言祝いでも良いものであろう。
 さて、もはやオチをつけることが困難となるほどの雑記となってしまったが、友人Aも寝てしまった以上、ここから何かを紡ぐには翌朝を待たねばならず、しかしながら私としてはその気にもならないのでこの話はこの辺りで切り上げる他ないように思える。

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