自分が何かを諦めるor決断するときの仕組みの話し

「彼女欲しい」は一生彼女作らない奴のセリフ

「彼女が欲しい」「起業したい」「大金が欲しい」等々。人は、様々な願望を抱えているが、その願望のほとんどを実行に移さない。

また、実行に移す人は既に動いている。

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
ジョジョの奇妙な冒険 第五部 プロシュートの言葉より引用

漫画にはいろいろな教養が詰まっている気がする。まさに、プロシュート兄貴の言葉は、的を得ていると思われる。

さて、今回このテーマで久々にnoteを更新しようと思った理由は、自分の生活の中で、最近この問題にぶち当たったからだ。詳細はTwitterを見て頂くのが早いが、ザックリと説明すると、自分の趣味であるクルマにおいて、競技場、つまりサーキットでの走行経験に憧れる反面。足踏みをしている自分というのが、ここ数日サカナの骨のように喉につかえた感じがしている事だ。

もっとも、なんとなく愚痴を垂れ流した結果、言い訳が主成分であることに気づいたため、ツイッターで流してもよかった愚痴を後の教訓と反省文という趣旨も含めてまとめていこうと思う。


できない事をやらない心

自分の性格というか、特性として、一言でまとめたら「完璧主義」というのが近い表現だろう。

完璧主義というと、なんでも完全無欠にこなす人間というイメージを抱く人は多いがそれは違う。

「完璧でないことを受け入れられない」

のが、自分の考える完璧主義だ。考えてみれば、ゲームとかでも少し気にくわなければリセットを押すし、絵なんかその最たるものだ。一本引いた線が気にくわなければ「保存せずに閉じる」を押して後は布団の中でTwitterをシュポシュポと上下運動するだけのウンコ製造機に成り下がる。

夢見リユの絵を見たことがある人間がこのnoteの閲覧者の多数だと思うが、いま一度、よくよく私の絵を見直してみてほしい。毎度構図が似通っていたり、みんな左側を向いて微笑むだけの置き写真みたいになっていないだろうか?

あまりにもその傾向が酷すぎるので、バレない程度に構図を変更してはいるが、根本的には同じイラストを焼き増ししているのが現状の夢見リユである。それは、イイ絵とか悪い絵とかそういう話しではない。チャレンジを極端に避けた表現に閉じこもっているという事を伝えたい。

自分ができる事が確定した事項にしか、私はもう挑戦できない人間になっている。その原因が、失敗する自分を受け入れられないというプライドだ。

また、幼少期より反対側から考えるという癖が、親の影響だろうか、自分の思考の癖としてあるので、完璧主義な自分というのを、こうして文章で一度俯瞰してみることをしている。

さて、話しを戻すと、自分は成功が確定したものしかやらないが、そんな人間は一瞬で頭打ちするのが目に見えている。そこで、自分がなぜ成功が約束されていない環境にいままで身を置いていたのかを考える

完璧主義者は自殺寸前まで追い込むと案外粘る

これは、決して健全な話しではないが、こういう風に私が悩むときに、大概役に立つというか、悩みから抜け出すキッカケになるのは痛烈な批判であったり、糾弾であったり、暴言だ。

以前、この「やらないのにやりたい問題」にブチあたった時の話しをしよう。

私がデザイナーとして2社目、つまり今在籍している会社に転職した時のことだ。できること、わかることから手取り足取り教えてもらうのが、新人の常だと思っていた私は、入社初日にその考えを根底から覆された。

「イチから全部責任をもって教える」

と面接時に語った社長が、初日の自分の仕事ぶりをみて

「先輩社員の速度と同じ速度でやれ!」

という無理難題を押し付けてきたのだ。ただ、当時の自分は右も左もわからない状況だったため、涙を堪え、吐き気を催しながらも終電近くまで残って仕事をした。

入社から3か月ほどは、周りの友人も家族も「大丈夫か?」と聞いてきたし、当時の自分は、自殺するのではないか?と家族から心配されていたほど疲弊していたらしい。

今となってはいい経験だ。なんて美談には決してしない。あれはパワハラとモラハラだったし、あの精神状態で心療内科に行けばなんかしらの障害に引っかかっていただろう。入社してから3年間、未だに快眠というものをしていないし、片頭痛と慢性的な便秘と下痢を繰り返しているのだから。

さて、今の話し、一体何がこの件と関わるのかというと、自分の場合、どうしても手に入れたい物があり、それを手にするためには今の自分では能力が不足している場合どうするかというと、自分の事を案外簡単にそういった過酷な環境にぶち込むことがある。

弊害しかないが、自分の場合、自主的に何かをするというのはできないので、他人から強制されて恐怖によってモチベーションを底上げされるようなことをしないと大概のことは長続きしないのだ。

趣味の漫画すらも、これは高校時から悩みの種で、月に一度更新”しなければならない”とかせっかく読者がいるので描き続ける”べき”といった、強制する環境を自分に強いるようにしている。

なまけ癖の酷い人間は、過酷な環境に放り込むのが一番手っ取り早いというのが自分の持論だが、これは一切の責任は取らないという、かなり無責任な思考によって実現可能な手段だ。

「新しい会社でうつ病になったら人生お~わり!」
みたいな事を言って、人生を軽く捉えて転職した当時の自分の判断。上手くいけばデザイナーとしての実績が手に入るが、失敗すれば死ぬというのを理解したうえで、決断を下しているのが非常に悍ましい。未だに自分の発言に憤りを覚える。

完璧主義者の害悪過ぎる思考回路は、1か0かみたいな極端な思考にあると思っている。それを逆手に取って、当時の自分は「失敗したら死」と自分にプレッシャーをかけ続け、失敗する事を決して許さないように、仕事に打ち込んだ。

しかし、これは本当に、失敗しなかったからよかったが、本当にうつ病にでもなっていたら、自死を選択肢として入れていた可能性が高い。

完璧主義者は完璧主義を緩和することを最優先に考えるべきだとよくわかる。

決断するためのとっかかりについて

さて、前章で語ったのは自分の成功論みたいな殆ど参考にならないものだったが、この章では、具体的になぜ「やりたいのにやらない」という選択肢が自分の中にあるのかを考えていく。

もっと嚙み砕くと、「やりたいならやる」「やらないならやらない」でハッキリせずに足踏みをする心理が知りたい。

やりたいからやるはシンプルだし、やらないと決めてしまえばもはや悩みは無くなるが、「やりたいけど~」と言って無駄に頭の片隅に無駄なものを置いておくことはとても効率が悪い。

また、自分は比較的この辺がサバサバしており「彼女が欲しい!」という悩みは19才ぐらいには消え去った。「彼女が欲しい」ではなく「彼女がいるというステータスが欲しい」という心理に気づいたからだ。それは自分の中の人間として正しくあるべきというルールに著しく抵触する。

今回の悩みもおそらくなんらかのキッカケで消失する悩みだと思うが、この悩みというのが現状の自分はややこしい。いや、とてもシンプルであるが故に、言語化することができず、自分が納得できないのだ。

この面倒くさい極まりない性格とは20年以上の付き合いになるが、私は納得しないことはやりたくないという性格の持ちぬしで、それでは社会を渡り歩けないので、言語化するという武器で世渡りをしてきたつもりだ。

ここまでで「失敗を受け入れられない」「強制されていない」「言語化できていない」という3つの仮説を出してきたが、イマイチしっくりこない。

例えば、自分が何かを実行するか諦めるときは「時間的」「金銭的」「心理的」の3つから物事を考えるのだが、「時間は確保すればできる」し、「お金は投資と考えれば払える金額」だし、「心理的な理由として挙げた上記3つはしっくりこない」と来たものだ。

こうなると、自分の経験上「んじゃ来週いくべしゃ」というノリと勢いというものが発動するのだが、今回ばかりはそれが無いのは何故だろう。


そうか!


いま気づいたが、4つ目の物事を考えるとっかかりが、今回は必要になるという事に気づいた。【環境を整えているか】である。

今回、やりたいことを実行するためには機材の整備が最優先事項となる。また、そのための知識という、環境が整っていないのだ。

石橋は叩いて渡る性格だが、今回はまず渡る橋がどこにあるのかを先に調べるべきだったのだ。

なるほど、自分はやはりあまり頭の回転が良くないようだ。反省の余地ありである。凝り固まった思考というのはどうにもよろしくない。

しかし、こうしてここまでウンヌンカンヌンと愚痴なのか、独り言なのか、道徳の時間の感想文なのかを書いてきた愚痴が新たな気付きになるとは、思いもよらない発見だ。

齢25才程度の経験で、物事の尺度を分析するなどという事が烏滸がましいのだと、改めて思い知らされる。自分はまだ子供であるという事を、いま一度理解するべきだった。また、同じ悩みに当たった時、再び自分がこの文章を読み返すことを願う。きっと、新たなとっかかりを見つけるヒントになる。

正直、未来の自分がこれを読み返す頃には、多少の知識が身に着いて頭でっかちになっているだろうが、数年後の自分に再度忠告だ。

「お前の頭は大して良くないぞ。」

さて、そうと決まれば、いつも世話になっている車屋へ電話をかけよう。



・・・・今日は定休日だそうだ。後日、電話することにする。



追伸

今回のnoteは、ほとんど自分専用のためのものなので公開する必要すらあるのか考え物ですが、とりあえず、書いたこと自体は良かったと思います。

この問題でTwitterで悶々としていたのですが、文章量が足りなかっただけみたいですね。本当はA4サイズのノートとかでやると効果が高いそうですが、自分はカッコつけた文体で一度外に向かって発信することで、自分を客観的に見るという事をしております。

さて、みなさんも「やりたいのにやらない」という事はありませんか?自分は大抵のことは「やらないからやらない」という事が多く、「やりたいのにやらない」は脳みその容量を圧迫するので悩んだときは「やらない」という切り捨てをすることが多いのですが、今回は珍しく「やらない割にはずっとやりたいって言ってる」という状況に陥っていました。

殴り書き状態の文章ですので、まとまりのない乱文ですが、一言でまとめるとしたら「やるorやらない」の決断には「とっかかり」が必要になるのでは?というのが今回の話しの趣旨だと思います(読み返してみるとたぶんそういう事です)

自分の中の決断のプロセスみたいなものをちょっと言葉にしてみたのですが、まぁ、今回のことに関しては新たな気付きがあってよかったです。

という訳で、挑戦をしようと思うので、早速今週から準備に取り掛かろうと思います。

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