「経験の差を埋めるにはどうすれば良いのか」について考える #内省録
何気なしにふと気になったテーマを取り上げ、自分の経験、思考、価値観と向き合いながら深堀りをしていくシリーズ。内省したものをこうして記録することで、
エンジニアとしての成長のロードマップ
自分が取り組んでいる分野の動向の推察
今後の活動に関する意思決定
のために役立てていこうというもの。要するに、思考・価値観の人間ドックである。
皆さんは学校や職場、クラブチーム、SNSなど何でもいいのだが、普段自分が関わっている人たちの中に、
「うわ、やっぱこの人ってすごいなぁ・・・」
「この人がいるとすごい頼りになるなぁ・・・」
「あ、こういう人のことを天才・主人公っていうのか・・・」
と思える人がいるだろうか。
個人的には、このような人が周りにいることは、幸せなことだと思う。自分にとって刺激になったり、目標になったりする。
私が大企業で働いていたときには、従業員数が万単位いるにも関わらず、こんな人に出会ったのはわずか3人で、そのうち一人は派遣のCADオペさんだった。それぐらい、そんな人に出会えるのは稀だと思う。
その人のことを知れば知るほど、その人の背中がとてつもなく大きいことを実感する。その人と一緒に部活動ができたり、勉強できたり、仕事できたりするのはとても恵まれていると感じる。
でも、それが数ヶ月、数年と続くと「いつまでもこの背中におんぶしてもらってたらいけないよなぁ」と感じる。例えば、中学・高校の部活で、頼りになる先輩たちの引退の時期が近づくと
「先輩たちが引退したらどうなっちゃうんだろう・・・」
「自分たちが部を引っ張っていくことなんてできるのかな・・・」
といった感じでソワソワしたりするだろう(偏見だが、特に女子に多い気がする)。
仕事でも、
「自分はこのチームの中でお荷物になっているんじゃないか?」
「経験年数的に言えば、もうそろそろ自分は〇〇みたいなレベルの仕事ができるようにならなきゃいけないよなぁ・・・」
と考え、ソワソワする。そしてそんな理想と、今の自分の実力とを比べたときに、その差が大きいことを実感し、なんだか落ち込んでしまう。
どうしたらいいのかと思い、背中の大きな人たちに何回か相談をしてみたが、みんな口を揃えて
「まぁ、経験の量を増やしていけば、できるようになってくるよ!」
と言う。
「そういうものなのかなぁ・・・」とずっと思っていたのだが、最近になって「量を増やすという戦略はどれだけ有効なのか?」と疑問を持つようになってきた。
量を増やしたところで、天才の彼らの背中は一向に見えてこない。じゃあ、どうすればこの差を埋められるのか?これについて深掘りをしていく。
「質より量」論について
私が中学生のとき通っていた塾のことを少し話すと、その塾は
「志望校合格のために死ぬ気で勉強しろ!」
「一人でもテストで満点取れなかったら連帯責任!」
みたいに熱量とプレッシャーが半端じゃないところだった。夏期講習、冬期講習はもちろんのこと、定期的に「決起集会」「模試大会」「合宿」なども開催されていた。私は塾の中では一番上のクラスにいたので、基本全参加だった。
そこで印象的だったのは、たまに全国にあるスクールの先生の中で一番偉い人がやってきて、塾生徒への挨拶として、
「勉強は質より量!」
と、毎度耳にこびりつくほど発言していたことである。塾の担任の先生も、それに便乗するようにうるさく言っていた。
その後も第一志望合格を果たした先輩たちがスピーチで
「私は1日12時間勉強しました!」
「私は泣きながらテキストの問題を1ヶ月で1周解きました!」
などと熱意を込めてされていた。そしてこういったお偉いさんや先輩のスピーチの後に、毎回感想文が宿題として出されたことが懐かしい。
「なるほど、とにかく量が必要なのだな?勉強量を増やせば、頭が良くなるのだな?」
と思った私は、200~300ページぐらいある数学の問題集を1ヶ月で2週解いたりしてみた。英単語や漢字なども何周やったか覚えていないほどにはやった。だが、駿台模試や筑波大学附属駒場高校(偏差値75の高校)の入試で、手も足も出なかったのは今でも覚えている。
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