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「ここ最近の機械設計職の変化」について考える #内省録

何気なしにふと気になったテーマを取り上げ、自分の経験、思考、価値観と向き合いながら深堀りをしていくシリーズ。内省したものをこうして記録することで、

  • エンジニアとしての成長のロードマップ

  • 自分が取り組んでいる分野の動向の推察

  • 今後の活動に関する意思決定

のために役立てていこうというもの。要するに、思考・価値観の人間ドックである。

自分は機械設計の業界に入って今年で7年目なのだが、ここ最近なんとなく機械設計の分野にいくつか「とある大きな変化」が来ているんじゃないかと感じるようになった。

もちろん「自動化」「IoT」「AI」「カーボンニュートラル」などのバズワードが大きな流れであることは間違いないのだが、それよりももうちょっと身近なレベル(設計実務に近いレベル)での話だ。

これについて深掘りをしていく。

UIUXの視点

1つ目は「UIUXの視点が機械設計に求められるようになってきた」ということだ。

機械は性能さえ満たせていれば良いのではなく、それを使う人たちがいて、その人たちにとって「使いやすい、使い勝手がいい、使っていて気持ちがいい」と感じてもらえるのが大切だと思う。

「組立性・メンテナンス性」のことって思う方もいるかと思うが、半分正解で半分不正解かなぁという感じ。よく言われる「組立性・メンテナンス性」ていうのは、「作業する時に手が入るかどうか」とか「めくら作業にならないか」とかっていうレベルで議論されることが多いが、そういったレベルを考えることはもちろん大事だが、もうちょい上のレベルを目指すのが大事かなぁと思う。

私は受注生産の産業機械しか設計したことはないのだが、少なくともこの分野において設計者は、

「え、やり方がわからない?図面とか取説を見れば載ってるでしょ!」

というスタンスが多いように思う。確かによーーーく見れば分かる場合もあるのだが、産業機械によっては図面が数千枚に及ぶことや、取説がキングファイル数冊にまで及ぶことはザラにある。わからないことがある度に、毎回六法全書を引っ張り出してくるような勢いだ。しかもまだまだ紙媒体で仕事している所も多い。かろうじてPDF化されていたりもするが、やはり検索性が悪い。

こんな状況じゃダメだよなぁって思った背景は、外国人労働者の増加だ。最近お客さんの現場に行くと、外国人の方々の割合が非常に多い。それに対して図面と取説でフォローする作戦というのが「外国人がいるなら、日本語と英語を併記すりゃいいじゃん!」っていうやつだ。でもだいたいは「資料の量が倍になってとんでもないことになる」か「フォントサイズが小さくなってめちゃくちゃ見にくくなるか」のどちらになる。

資料を作る側にとっても、資料を読む側にとってもハッピーじゃないような気がする。

「じゃあ、どうすりゃいいのか」っていうと、その解決策の一つが、非言語的に理解がしやすい設計を考えることかなぁと思う。

あくまで一例だが、部品Aと部品Bとをボルトで取り付けるという構造について「物理的には裏表を間違えても取り付いてしまうが、それを間違えると機械が上手く作動しない」という設計はイケてないと思う。間違いに気づきにくいし、それをチェックするためには図面や資料の束を引っ張り出して調べなければいけない。

個人的にイケてると思うのは、

  • 裏表どっちで取り付けてもいい構造にする

  • 裏表を間違えると絶対に取り付かない構造にする

とかだと思う。このような構造であれば、わざわざ図面や資料がなくとも、日本語と英語の併記をしなくとも、ある程度感覚で理解することができる。

全てのパーツにこういったことを反映させるのはえげつなく大変だが、そこまでのレベルじゃなくても「全くやらない」のと「少しだけでも気にかける」の違いですら、設計スキルの差として顕著に現れる。特に安全装置やカバーなどではこの考えが重要だと思う。

ただここからが問題なのだが、この辺を考えて設計しだすと、装置の直材費が上がる傾向にある。そのため、周囲になかなか受け入れられないことが非常に多い。

考えて設計しないと現場工数として跳ね返ってくるのでトータルでコスト増大になっていることの方が圧倒的に多い。だが、お客さん側の調達屋さん、設備計画屋さんは直材費と性能(作業者の省人効果を含む)しか見てないところが多い。一方でメーカや設計者からすれば、

  • 仕事を受注するためには、要求仕様を満たした上で、目立つコスト(直材費)を削減しなければ!

  • 与えられている設計工数やスケジュールがそもそもギリギリだから、さっさとアウトプット出さなければ!

  • メンテナンスとかはお客さん側の所掌だし、ちゃんと図面と取説提出してるし!

っていう感じなので、誰もUIUXを考えないし、現場の悲鳴は届かない。でも、機械を使う人にとって、気持ちよく機械を扱えるようにと思ったら、設計者にはUIUXを考えるスキルが必要なんじゃないかと考える。

Hardware for Software

2つ目は、設計思想の傾向として「Hardware with Software」から「Hardware for Software」への変化が起こっているということだ。

「Hardware with Software」というのは、ハードウェアにソフトウェアが足し算されていると言うイメージ。例えば、デジカメのメーカであれば「兎にも角にも、デジカメを売るんだ!最近はSNSとか流行っているから、取った写真をそのままSNSに投稿できる機能を追加しよう!」っていう感じ。

「ウチは〇〇メーカーだから」とか「少し前にウチの〇〇が大ヒットしたから」とかいう理由だけでハードウェアが決まり、あとはそこにどんなトッピングをするかという感じにものを作っていく。

個人的な感覚でいうと、こんなノリで企画や構想設計が進んでいるというメーカーは非常に多い。日本製品が「ガラパゴス化」している背景は、設計思想の根本が「Hardware with Software」だからかなぁと思う。

一方でこれから必要なのは「Hardware for Software」かなぁと思う。思い描いたUIUXを実現するために「あるべき機能は何なのか」というソフトウェア的な要件定義があって、そのあとで「どんなハードウェアが必要か」という流れのイメージだ。

IT技術が進歩して、スマホ1台で多くのことが完結するような時代にもなって「既存ハードウェアありきの製品開発」はもはやイケてないと思う。部品メーカとかだとこういうレベルまで考える必要があるところは少ないかもしれないが(もちろん業界による)、完成品メーカや機械設計者ほど「Hardware for Software」が必要だと考える。「ドリルを売るには穴を売れ」に近い考えだ。

欲しいものは提案されるもの

そして最後3つ目が、「欲しいものは要求するもの」という思考から「欲しいものは提案されるもの」という思考への変化だ。

これはAmazonやYouTubeなどが典型的な例だ。データ分析があらゆる場面で活用された結果、最近は商品を購入したり、動画を見たりするのに、「わざわざ自ら検索する」よりも「トップページのおすすめ欄」から選択することのほうが多い。

こういった思考のクセは、製造業の仕事にも流れ込んできているなと感じる。わかりやすいのは「要求仕様書」だ。

昔はお客さんが何かほしいもの、ほしいスペックがあったときに、それを「要求仕様書」として文面化し、メーカへ引合いを出す。受け取ったメーカはその要求仕様書に基づいて機械を設計する。

こういった仕事のやり方に慣れている設計者に多い口癖が「お客様は神様」だ。設計をしていてどうすりゃいいかわからないことがあっても、要求仕様書やお客さんの言われたことに従って設計をしていれば仕事として成立する。

その一方で最近は、要求仕様書を出さない(または書けない)お客さんは多い。特に自動化が進んでいないような業界のお客さんに多い。「どんなものが欲しいのか」といくら問い合わせても、お客さん側も何が必要で、どうすりゃいいのかわからないものだから「いい感じに」ぐらいしか回答できない。

だから、設計者がお客さんの現場を見たり、お客さんとの会話の端々まで耳を澄ませながら「どういう機械を設計すればいいのか」というイメージを膨らませ、設計者側から仕様や要件を定義し、提案する必要がある。勘違いしてほしくないのは、これは決してお客さんをバカにしているわけではなく「仕事のスタンスが変わってきたのだ」ということを言いたい(かといって、発注者側が思考停止しててもいいという話でもないが)。

それだけではない。さらに「Hardware for Software」の視点も考えると、「どんな機械を設計してほしいか」を定義できるソフト屋さんはまずいないので、機械設計者側から仕様や要件を定義する必要がある。ソフト屋さんとメカ屋さんの仲が悪くなるという話はしばしば聞くが、それぞれの言い分を聞くと、

  • ソフト屋さん「いくらソフトで努力しても、メカ的な限界は超えられないんだから、ちゃんと考えて設計してよ!」

  • メカ屋さん「そもそもソフトから要求仕様が出てないのに、文句ばっかいわれても困る。後出しジャンケンされても、ソフトはバックスペースで簡単に修正できるけど、メカは対応に時間も金もかかるんだから!」

という感じで、鶏と卵問題になっている。どちらかがダメということじゃなくて両者が歩み寄るのが理想ではあるのだが、機械設計の仕事をしている身として言えば「どう転んでもメカがソフトのことについて、浅くてもいいから広く知っておく必要がある」のは確実だと思う。

世の中で機械設計の仕事をしている人は数え切れないほどいるが、その中ここのレベルまで知識とスキルがあって、実行できる機械設計者はほとんどいない。だからこそ転職の求人を眺めていると、機械設計の職種としての募集にも関わらず「お客さんとコミュニケーションが取れる人」とか「プロジェクトチームのリーダとして仕事ができる人」と書かれたものが非常に多く、そういった求人の年収は驚くほど高かったりする。

凡人とサイヤ人

当たり前だが、単なるスキルだけではなく「あるべき姿を思い描いて、それに向かってチームを取りまとめて突き進む」能力も必要で、求められるもののレベルが非常に高い。そういったこともあり、設計職にも関わらず営業の仕事をやっているかと思いきや、一方で企画から開発・設計までやっているという人がごく稀にいて、そういった人と話をすると「この人は実はサイヤ人なんじゃないか?」と感じる。サイヤ人ほど指示を待っていることは少なく、自ら仕掛けに行っていることが多い。

機械設計って、勉強するべきことは山ほどあるし、新しい技術はどんどん出てくるし、ときには設計思想を根本的なところから見直す必要があると思う。その上で、自身の専門も超えて行動したりコミュニケーション取る必要もあって、責任も大きい。ただサイヤ人たちはこういった事をそもそもネガティブには捉えていないと思う。

よくメディアでは「日本のものづくりはもうオワコン」なんて言われていたりするが、個人的にはそんなことはないと思う。特に機械設計の分野については、今回書いたようにまだまだ手の付け所がたくさんあると思う。言い換えると、まだまだ伸びしろがあるということだ。

周りを見渡しても

  • この大きな流れについて気づいている人は日本にはほぼいないし、

  • この辺を考える上で参考になる本は数少ないし(いくつかはあるが)、

  • この辺をやっている先駆者の数も非常に少ない

そう思うと、サイヤ人達にとって機械設計というのは「チャンスの宝庫」「パチスロでいう確変モード」と見えているんじゃないかと思う。

まぁ色々偉そうなことをツラツラ述べたが、こういったことについて自分自身にまだまだスキルも実績も足りないことは重々承知している。ただ、自分もこの変化の波に乗っかれるよう、コツコツやっていけたらなぁと思う。

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