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友人J

高校の同級生の友人Jに会った。
彼女は変わらない。私の髪が長くなろうと、クルクルになろうと、茶色くなろうと、彼女は全く変わることのない黒髪ボブである。



彼女はお笑いオタクで、会うと必ず芸人さんの舞台、ユーチューブ、ラジオを勧めてくれる。今回もカフェでパフェを食べながらJのスマホで漫才を見た。知らない芸人ばかり。時間の許す限り解説を続けるJ。次から次へと(芸人の)エピソードが出てくる。私は何も与えていないのに私だけこんなに情報を享受していいのかしら。



このシステムは高校の頃から変わらない。昼休み、彼女は口の手前までご飯を運んだままの態勢でずっと喋っていた。他のみんなが食べ終わってもJのお弁当箱はまだ半分くらい残っていた。食べるのが遅いのではない。しゃべりすぎなのだ。「もう昼休み終わるよ」と誰かが言うと急いで掻き込む。ご飯を残したりはしない。良い子。


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私は、最近、どう?が辛い時があった。
近況を言いたくない。言ってもおもろくない。てか言える内容もない。みたいな。




誰かに会いたい。話したい。でも惨めな自分を知られたくない。ばれたくない。だから閉ざした。そんな時があった。
今はもうそんなことはない。なんとなく、自分の考えの整理がついてきて、それなりに何でも話せるだろうし、不快に感じたら嫌ですと言えると思う。



でも、Jと会う時はそんな恐怖が全く無かった。彼女は純粋な目でただただ好きなものの話をしてくれる。その世界は未知で面白くて、その時間はいつだって楽しい。進路、交友、私情、近況。そういったものは全くではないが、あまり話さなかった。それが心地よいと感じて救われることがあったのだということをしたためたい。そして私は、好きな人の好きなものの話を聞く時間が好きなのだ。




そしてJは、すごく優しい。良い意味で、自分の利益がどうとか、優位に立ちたいとか考えていなさそうだ。私が話したら必ず聞いてくれる。面白くなくても許してくれる(気がする)。醜い見栄も要らない。少しでも迷惑をかけたら嫌われるかもしれないと思いながらの交友関係にびびっている私にとって本当に安らげる存在だ。幸せでいてほしい。




いつか、私も彼女に何かを与えられる人間になりたい。中身のある、打ち込めるものがある、優しい人間になりたい。


ところで、最近、どう?
私は、それなりに頑張っているよ。

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