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【認知症ミツコ】2021年11月頃

母 : ミツコさんの認知年表
1937年1月 北海道生まれ 85歳(2022年現在)
2005年12月 配偶者 (私の父) 他界
2007年3月 好きな人(=パートナー)と東京で暮らし始める
( ~14年間、東京下町でパートナーと暮らす )
2021年4月 東京駅にある銀行からお金を全部下ろすと騒ぎだす
2021年4月頃 難聴がひどくなり、話が通じなくなる
2021年6月 銭湯に行かなくなる
2021年8月頃 料理ができなくなる
2021年9月頃 コーヒーすら淹れられなくなる
2021年10月 なんとなく痩せてきた
2021年10月 江東区の地域包括ケアセンターへ相談
2021年12月 医師の訪問、認定員の訪問 
2021年12月 要介護2の認定
2022年2月 江東区へ特別養護老人ホームの申し込み
2022年3月 デイサービス開始するものの、一回行ったのみ
2022年3月 札幌の施設も視野に入れて動きだす
2022年4月 札幌へ転居することを決め、施設探し
2022年5月 姉宅の近所にある介護付き有料老人ホームを契約
2022年6月 札幌へ転居、介護付き有料老人ホーム入所 


電話魔の母

2021年11月頃
長寿サポートセンターの介護福祉士さん、看護師さんの訪問後は、改めての対応を待つ状態となりました。
この頃は、母からやたらと電話がかかってきてしました。
携帯から私への電話は出来る状態。
電話対応が結構大変でしたが、まだしっかりしていますね。

思いつきで電話してくるので、だいたいが意味不明な内容。
本気で相手をすると、どんどん訳分からなくなるので、
適当に「大丈夫、大丈夫」というと安心して電話切ります。
私が電話に出られない時には、留守電に謎のメッセージが残っています。

この頃の覚書

〇家事はほぼ出来ない
 パートナーが全部やってて、もはや申し訳ないとも何も思っていない様子〇朝起きて、ちゃんと気候に合わせた服は着れる
〇やたらとお喋り 
 一人で喋っており、周りの話は聞いてない。
 タイミングが合えば、たまに正常な会話をする。
〇私の名前と姉の名前だけは、はっきりと言える。
 他の家族の名前はすんなり出てくる時と出てこない時がある。
〇お金をいつも探している
 同時にお金の心配をする。
〇怒りっぽい
 私が訪問する約束もしていないのに、約束をしたと思い込み、
 行かないと勝手に怒る。
〇近所の人とあまり関わらなくなった
 銭湯に行かなくなってから近所の人との会話のきっかけがなくなって
 しまったようです。

できると思っている

一日中何もしない、という状況。
母の大好きな猫ちゃんのようです。
母は、何もしない状態でも平気でずーっと座っています。
かろうじて、近所の買い物にはパートナーと二人で行っている模様でしたが。
「家事もやろうと思えばできる。」
「大好きだった油絵もやろうと思えばできる。」
「縫物もやろうと思えばいつだってできる。」
「買い物も一人で行こうと思えばできる。」
何かしようよ!! という私の問いかけにはこのような回答が返ってきます。
母の頭の中は、
「今、やらないだけであって、必要にせまられたらできる。」
今はやっていないだけ、ということになっているらしいです。

・・・そういう考えになってしまうのですね。
既にできなくなっていることが分からない状態なのに。
ここに至る過程で、「私、おかしいな」と思った時期があったはず。
「まだ大丈夫」と思っているうちに、判断ができなってしまうのでしょう。
日々進行していく認知症。

怖いです。


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