不登校時代Ⅱ

前回の続き

娘が小学生時代は、行ったりいかなかったりということが続きました。

友達ともめることも多々あり、担任の先生には大変お世話になりました。

今、思うことは学校というところは、先生や友達で違ってきます。

担任の先生が特に力を入れてくれてた学年は、うまく順調に過ごせることができました。

学校へ行けば、親は様子がわからないので担任の先生が頼りです。

その先生が頼れなっかったりすると、親子で悲しい思いをしなくてはならなくなります。

5、6年時代は、友達とのもめ事も多かったですが、担任の先生がよくしていただいたので

すんなり過ごせていたように思います。

さて、中学時代は親の身勝手な思いから隣町へ引っ越しすることになりました。

小さな田舎の学校から街中の大きな学校へと転校ということになってしまいました。

今思えば、そのまま遠くなっても仲がいい友達と同じ中学校へ行かせてあげればよかった。

もう、反省ばかりです。

やはり、学校は友達がいるから楽しいところになります。

その友達がいない学校へいきなり転校、しかも学校自体が好きじゃないときてたら

当然、学校は行けなくなりますよね。

中学は、やはり、ほとんど行けずに終わってしまいました。

しかし、中学で出会った友達の一人は、いつも娘がくることを気にかけてくれて

机に手紙を入れてくれてたり、プリントもきちんと揃えて入れてくれてました。

1年生の時は、男性の担任の先生がすごく熱心に家庭訪問をしていただきました。

2年になると女性の先生に変わりましたが、病気を克服されてくるされてる先生だけあって

親身にいろいろと聞いていたことが思い出されます。

3年生になっては、全く行けなくなったので、適応指導室登校となり、そこでの先生方には

今でもお世話になっています。

いろんな事がありすぎて、書ききれないほどですが、また続きは次回に…

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