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うつつ

転機は小学生時代の転校だった。
引っ越す前までは成り上がりの人間関係。
正直なところ記憶がほとんどないけど、ある場合の対応でAとBの選択肢、あってもCまでの3択だったものが、学年が上がるごとに複雑化して記述式になってしまった。

そうなってからは正解を導き出すことが難しく、失言が増え孤立することが増えた。

悪気なく言ったことが相手には嫌味に聞こえることがある。そう言った経験から黙っていることが増えた。
その大人しさにつけいられ、人間関係においては利用されることが多かった。
無駄に真面目で断れない、相談できない。全て引き受けて1人でこなそうとするなんてことは、社会に出る前からあった。
リーダーになる(というかさせられる)場面が多いが、嫌われたくない一心で引き受け、ほぼ1人で遂行。すると、まるで独裁者かのように煙たがられるから不思議だ。どうすれば良かったのか今でもわからない。

そんなこんなで人に対して苦手意識が芽生え始め、小学校高学年頃から休み時間にトイレの個室に引き篭ったり、場合によっては家に帰ったり。

集まりには参加できないし、集団が苦手で学校は苦痛で疲れて放課後や土日は寝て過ごす日々。
音に過敏に反応して隣人トラブルを引き起こしてしまったり、自傷他害こそなかったが、死にたいが口癖だった。

社会に出て数年、職場が変わっても案の定馴染めない自分を客観的に見て、その原因を探るべくグレーゾーンもわかるというqeed検査を受けてみた。


そこで、asd及びadhdの特性があるとの話があった。

結果を聞く前までは、なんともありませんよ気の持ちようですなんて言い切られちゃったらどうしようって思ってた。
でも、いざ特性があると言われたら、それはそれでショックだった。
この検査については受ける意味ないなんて検索ワードも出てきたりして、どこまでの信憑性があるかわからない。
結果説明の後、高額な治療を勧められたため、そうい営業なのかな、みんな私も同じような結果になるんじゃないかなと今でも半信半疑だ。

けど、そういう要素があると言われたことは私にとってはかなり救われた部分もあった。
まず、自分へ少し優しくできるようになった気がする。
音に過敏なのも神経質な私を責めても仕方ないんだって思えたり、虚弱な体質を恨んだりすることも減って如何にリラックスできる環境を整えるかに尽力し始めたり。
つまり、この2万円はラーメン20杯分に匹敵するほどの価値があったと思う(またラーメン🍜)

自分がおかしいことに気がついている時点で発達障害ではないなんて言うが、気がついたというより気付かされたのである。周りの反応から今の発言は間違っていたらしいということを認識し、プログラムを修正…その繰り返しで23年間やってきた。
ミスが多いことや人間関係でうまくいかないことは全部努力で改善しようとしてきた。
その甲斐あって同じ轍をを踏まないことはできる(はず)
そうしてなんとか社会生活を送れている時点で、発達障害ではないのかもしれない。
なにもそうでありたいと願っているわけではない。

ただ、このズレの原因を教えて欲しい。その理由をただ知りたい。

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