ひとりが好きの裏側

今日、晴れ着で颯爽と歩く新成人の姿を見かけ、最近読んだ本に「自分の時間がほしいと口癖のように言っているけど、時間は人と共有してこそ価値が生まれる」と書かれていたことを思い出した。

私にとっては耳が痛かったから忘れられない。

私は人と関わることは極力避けて生きてきた。
幼い頃から内向的であったが故に雑に扱われることが多かった。
また、相談することが苦手であることが裏目に出て嫌われることもままあり、学生時代はカレンダーの日付に斜線を引くことだけが楽しみだった。

行事の打ち上げや成人式、同窓会には当然のように欠席してきた。
時間とお金の無駄だと唾棄した。

その本には「将来に備え続けることに何の意味があるのか」と読み手に語りかける一文があった。

私には結婚願望はうっすらとはある。
しかし、子供を産むことについては、
言葉を選ばなければメリットがない・コスパが悪いと考えている。
人にお金を掛けるときも、その人にかけるお金に価値はあるのかという、
値踏みしているようで人としてどうかと思われるようなことを無意識下で行ってしまう。
常に損得勘定で生きている。

タイパ・コスパに囚われて生きている私は、どこに辿り着こうと捥がいているのか。
いつ死ぬかもわからない未来のために、何を犠牲にしているのだろう。

今は良くても、もう少し歳をとった先に傷つくことを恐れて閉じ籠ってきたことを後悔する日が来るのだろうか。
私が大事に思ってきた時間やお金は一体いつのためのものなのか。

この人生に意味なんてないと思ってながら、
メリットだのデメリットだのとを追求することに
何の意味があるのだろうか。


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