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電子レンジへの愛憎

 この感情は恋か憎悪かのどちらかだと思う。

3年前

 うちには電子レンジがない。引越しの時にまんまと買いそこねた。事前に必要なものリストを入念に練り上げ、ノジマの店員を店中連れ回し必要なものを買い揃え、その際に確実に電子レンジを注文した記憶はあるのだが、何でだか買っていないことになっていた。
 一人暮らしの新居に次々と運び込まれるベッドや冷蔵庫や机に椅子、そしていつまでもこないレンジ。ノジマと提携している運送企業が颯爽と洗濯機を設置し颯爽と帰ろうとした時点で「このあと電子レンジが登場するに違いない」という希望がほぼゼロになり、私は冷静にノジマの注文伝票を確認し、冷静に「そもそも電子レンジを買っていない」ことを知った。そんなことがあるか。私がノジマで見たあの電子レンジは蜃気楼だったのか? いの一番に買っていたアイロンとアイロン台をしまいこみながら嘆いた。アイロンがけが必要な衣服を避ける生活を送っているのに何故新品のアイロンは購入しているのか。更に言うとカーテンも買い損ねており、個人情報ご開帳! という感じだった。更に更に言うならテレビ嫌いのくせに34インチ(横幅75センチ)テレビを購入しており、更に更に更に言うなら新居の電気がつかなかったしお湯も出なかった。
 電子レンジがどう以前に引越しの才能がないのではないか。必要なものがなく不必要なものはあるのは何なのか。人生とは? 引越しの手伝いに来てくれていた友人が怒り狂いながら私をカーテン買いの旅に連れ出したためそれ以上は思考できず、「近くの家電量販店でレンジ買お。あとで」と思うに留めた。

2年前

 電子レンジ、未だ来ず。
 幸せと同じく電子レンジは歩いてきてくれず、欲しければ求めるしかないのだった。求めてはいた。「欲しいな-」「ないと不便なときあるな」とは思っていた。多くの自己啓発本に書かれているように「思うだけでは意味がなく、夢を叶えたいなら動くしかない」のだ。電子に焦がれ、レンジを想い、いつかあなたを手に入れると思い続けて丸一年が過ぎた。その間に友人に「レンジが欲しい」と表明してみるも「買えよ」と返されるに留まり、唯一「捨てずに取ってある古いレンジがあるけど、いる?」と言ってくれた優しい友人に「もっとかわいくて性能がよくて私の言うことを聞いてくれそうなやつがいい(ありがとう、でも悪いし自分で買うよ)」と返すなどしていたら手に入らなかったのだ。ふしぎ。
 かつて神童と呼ばれた私は「どうやら自ら買いに行かなければ手に入らないようだ」と早い時点で気付いたのだが、残念ながら下記2点によりその行為は阻まれた。

①部屋が独居房である。
 独居房というのは比喩表現であり、引越し間もなく我が新居に遊びに来た友人が「独居房みたい」と言い放ったことに由来する。端的に「狭い」と言えばいいものを何故独房にたとえたのか。
 しかし狭いことは事実であり、電子レンジなどという一抱えもあるものを置いてやるスペースなどないのであった。
「引越し時点で買おうとしていたはずだが、どこに置くつもりだったのだ」と問われれば答えよう。「冷蔵庫の上に置くつもりだった」と。
 使用意図からしても「冷蔵庫の上」は電子レンジのベストプレイスだと思われたが、一年間電子レンジなしで暮らすうちに「冷蔵庫の上、買ってきたジャガイモなどの一時保管場として優れているため電子レンジに場所を明け渡したくない問題」が浮上した。冷蔵庫の上にレンジを置き、その上にジャガイモなどを置く案も提出されたが「私の身長がついていけなくなる可能性がある」との意見により却下された。

②なくてもなんとかなる。
 
事実である。
「なきゃ困る」と「なくてもなんとかなる」は同居可能な概念であり、なきゃないでなんとかなるのだった。温かい茶が飲みたいのなら湯を沸かせばいいし、夕飯の残りを温めたいのなら鍋ごとコンロに乗せればいい。「さめてしまったものをちょっと温めたいとき」にすこぶる不便だということを無視すれば電子レンジがなくても生きていけるのであった。定期的に「いややっぱ不便だわ」と真実に気付きそうになるものの、そのたび上記①「部屋が独居房である。」を思い出して心を鎮める日々が続いた。

1年前

 レンジへの思いはいつか憎しみに変わっていた。
 この頃の私は電子レンジを持っていないことがアイデンティティのひとつとなっており、不用意にレンジを手にした場合、自我が崩壊する恐れがあった。
 私はイソップ寓話の狐であり、電子レンジは酸っぱい葡萄だった。手に入らないレンジなど役立たずに違いなく、あんなもの最初から欲しくはなかったのだ。
 そんなある日、会社の女性達と一緒に夕飯を食べる機会があった。どうしてそんな話題になったのかは思い出せないが、私は彼女達に言った。「うち、電子レンジないんですよね」

「えーーーーッ!!?」

そんなに驚くかよ、という驚き方をされた。漫画のような「えーーーーッ!!?」だった。
 詳細は伏せるが、私はかつて業務中にうっかりトラックを破壊しかけたことがあり、会社の先輩が叫びながらうまいこと止めてくれたおかげで未然に防がれたのだが、その叫びよりも大きな声だった。余談だがこのトラックとは荷物を載せて一昼夜走っているあのトラックのことであり、普通に数百万円とかする。
 会社の女性達は口々に私を責めた。電子レンジを持たざる私を。
 一人暮らしの女性が大半を占めていたため、余計に持たざる者が哀れだったのだろう。
 彼女達は言った。「冷蔵庫の上に置けばいいじゃん」
 だからうちは独居房なんですよ!!!
 
この事件後「絶対に買わないからな、電子レンジなんて」という思いは強化された。私は誓ったのだ。「なくても困らないものは買わない」と。アイロンとテレビに誓ったのだった。

現在

 買った。
 めっちゃ便利。

 これ以上言うことなど何もなく、ここで筆を置いてもいいのだが、結局どこに設置したのかだけ記しておく。
 冷蔵庫の上に置いた。
 私は自分のことを愛らしいコビトだと思っており、「冷蔵庫の上なんかに置いたら手が届かなくなっちゃう」と愛らしく思っていたのだが全くそんなことはなかった。自分の身長が平均以上あることを忘れていたし、空間把握能力が死んでいたため気付かなかったのだが、冷蔵庫の上にはじゅうぶんなスペースがあった。
 なお、いったん置いておきたいジャガイモなどは電子レンジの上に保管している。
 レンジを買ってからというもの、冬場にさめてしまったお茶を少し温め直したいときにとても便利だ。解凍しきれていない肉を溶かすのにもいいし、やはり何より、料理の幅が広がった。
 私の尊敬する料理ブロガー、山本ゆりさんの「syunkonカフェごはん レンジでもっと! 絶品レシピ」は名作なので皆さんも電子レンジと一緒に購入するといいと思います。
 現場からは以上です。

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