(26)入院から退院まで考えていたこと①
[赤ちゃんの死産についての感情のところを綴っています。
読みたくない方は読まずに閉じてくださいね。]
11/14(火)寒いです。急に冬になりましたね。先週火曜日に手術だったのでちょうど一週間が経ちました。時間の過ぎ方がぬるぬると進んでいるような、豪速で過ぎ去っていくようななんだか不思議な時間感覚の中にいます。
ただ、日常に戻ってくるとやることも出てきたりして、無理のない程度で少しずつ家事もやってます。(病院ではひたすら色んな本を読んでいました。)
夫がコロナ以降在宅なので買い物や洗濯、洗い物、ゴミ捨てなどやってくれてます。在宅ありがたい..。
ただ、料理などは私も気分転換になるので簡単なことをし始めました。元々手の込んだ料理はやらないので簡単なものや、食材セットで頼んだものを作るとかそんな感じです。でもやっぱりお家はいいなぁ〜。
少し前にマザーズバックにしようとネットで購入したカバンがスペインから到着しました。せっかくなので日常で使います。
娘は今もばあばのところにいます。本当はもう少し早く迎えに行く予定だったのですが、娘が想像以上に楽しんでいること、ばあばも楽しそうなので甘えることにしました。明日の夜迎えに行く予定です。
さて。今日は感情のところを書いていきます。長くなりそうなので2回に分けますね。
振り返りは↓
11/3(祝・金)に夫と娘と病院に向かい、当直の先生2人と看護師さんに「赤ちゃんの心拍がないです」と言われた時は頭が真っ白になりました。ただ、とても冷静な自分もいて、先生に「旦那さんに僕から話しましょうか?」と言われたのですが「私から話します」と言うと、個室の部屋を用意してくれました。これは迷うことなく私から話したいと思いました。
個室の部屋へ向かう際に夫と娘と合流し、夫は私の表情を見て覚悟したそうです。
もちろん混乱していましたが何度も深呼吸し、まずは状況を把握せねばと思っていました。5歳の娘には「赤ちゃんが死んじゃった」とストレートに伝えました。
そこから先生たちとこれからの流れの話になりましたが、
・三連休なので一旦自宅へ帰ること
・分娩方法を検討すること(自然分娩、帝王切開)
とのことだったのですが、夫は「今すぐ入院はできませんか?」と言っていましたがこれは心臓が止まった赤ちゃんがお腹にいる状態で数日過ごす私のことを心配してのことでした。私は一旦帰って受け入れる時間を持つ方がいいなと思ったので夫に伝えました。分娩方法もこの時点である程度決めていましたが、麻酔の方法だけ気になっていました。(全身or下半身麻酔)
妊娠中から命のことは自分でどうすることもできないという考えもあったので、その時その時で一番いい方法を見つけたいなと思っていました。こうやって考えることができたのも主治医の先生から初期の頃から色んな話を丁寧にしていただいていたからで、いい先生に出会えてよかったです。
再度エコーを確認して(心臓動いてればいいのにと思いました)から帰宅し、そこからは家族でたくさん話したくさん泣きました。娘は私たちがこんなに泣いているのは初めてだったと思うので堪えてくれていたところはあると思います。私たち夫婦の中で、心拍停止の瞬間からこのことをタブー視したり、"失敗"と思うことはしないと考えていましたし、原因を追求することにはそんなに意味がないと思っていたので娘にも正直に全部話し、娘の前だからといって泣くのを我慢しませんでした。
赤ちゃんを送るときに手紙を入れようとなり、娘になんて書く?と聞くと
「バブーちゃん、ちょっとだけだったけど楽しかったよ。バブーちゃんのこと大好きだったけど、ママがたくさん泣いてご迷惑をおかけします。
"心と心がつながれつながれ"保育園の言葉だよ。」と答えました。5歳なのにすごいですよね。体感として色々理解しているんだなと尊敬しました。
ドライブしてコーヒーを飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり、家族写真を撮ったり、4人での最後の時間を楽しみました。さすがにほとんど眠れませんでしたしこの時点でも受け入れている部分と信じられない部分が混在していました。
この2日間は本当に大切な時間だったなと思います。もしあのまま入院して出産となっていたら逆に受け入れることが難しかったのではないかな。夫と生きるとか死ぬとか、まだ生まれていないのにすごい存在感がある赤ちゃんのこと、「魂」とか「意識」とかほんと色んなことを話しましたが、気付いたのは普段から私たちは割とこう言ったことを話してるなと気づきました。ちょっとスピリチュアルみたいな話になっちゃいますが、「死」は普段から私たちにとって近いものとして捉えていたことが今回とても支えになった気がします。妊娠中本当に色んなことを気づかせてくれたり幸せな気持ちをギフトしてくれていたので、家族3人で話す時も「いなくなってしまって寂しいけど、じゃあよかったことはなんだっだかな?」という考え方で話をしていました。
娘の時からお世話になっている助産師さんにも連絡をしました。「あなたも赤ちゃんも頑張ったね。長いからいいとか、短いからそうじゃないってことじゃないよ。」と言ってもらい、その電話で糸がプツンと切れたように大泣きしました。
この時に出産の方法も少し相談したら、自然分娩は陣痛を促すからそこまで背負わなくてもいいんじゃないか?というのが助産師さんの意見でした。(もちろん帝王切開が楽というわけではないですが、私は前回のお産が自然分娩の途中で緊急帝王切開だったのでそのこともあるかと思います)
入院前日に親しい友人には連絡しました。楽しみにしてくれていた友人たちには赤ちゃんの人生を全うしたことを伝えたかったのと、これもやはりこのことを隠したりなかったことみたいにしたくなかったからです。
一緒に泣いてくれる友人たちに心から感謝しています。
入院当日、改めて主治医の先生を含めて以下を話しました。これも娘も一緒に。
・今の時点で考えられる原因について
・子宮内胎児死亡の原因をどこまで調べるか(染色体検査、病理解剖)
・出産の方法どうするか(経膣分娩、帝王切開)
・麻酔についてどうするか
私たちにとっては赤ちゃんの人生を全うしたんだと思い始めることが少しずつできていたので、原因を追求するのも私たちにとってはそんなに意味のないことかなとも思っていました。主治医の先生はしっかり原因を調べてみませんか?とのことだったのですが、病理解剖までは必要ないなと思ったので、染色体検査だけすることにしました。…が、これもやらなくてもよかったかなぁと思ってます。
出産は元々の予定でもあった帝王切開。麻酔方法は起きて対面したいので下半身麻酔でと伝えました。
心拍停止がわかる前日は妊婦健診で順調だったため、主治医の先生はかなり肩を落としておられ申し訳ないと仰っていました。
これも心拍停止がわかってからずっと伝えようと決めていたことなのですが、赤ちゃんがこうなってしまっても先生への感謝の気持ちは変わらずあったので
「今回、妊娠初期から私たち夫婦で色んなことを学ばせてもらったり気づかせてもらって本当に良かったなと思っています。もちろん今辛いんですが、そうやって思えるのは赤ちゃんの腎臓のことや高齢出産のリスクなど先生から丁寧に、でもとても自然に伝えてくださったことがあったからなので…。ありがとうございました。ここからのミッションは元気に産んで家に帰ろうと思うのでよろしくお願いします。」と伝えました。
普段から毎朝瞑想をしているのですが心拍停止がわかってから寝る前も瞑想をしています。(退院後の今も)あと、入院の間はずっとヨガニードラ(寝たままの瞑想)をして寝ていました。
長くなってしまいました。明日は入院して1人になってから帝王切開での出産、対面〜退院の感情を書いていきます。
振り返ることは辛い気持ちも湧き上がりますがやはり私にとっては大切だと実感しながら書いていました。
読んでいただきありがとうございます。
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