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アンネ・フランクの姉

この写真の若い女性は『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクの姉、マルゴット・フランクです。アンネより3歳年上のマルゴットは1926年、フランクフルトの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。1933年にヒトラーが政権を掌握し、ユダヤ人迫害が始まると、フランク家はアムステルダムに移住します。

 しばらくは平穏で幸せな生活が続きました。マルゴットは勤勉で物静かな女の子、学校の成績は常にトップでした。

 1940年にオランダがナチスドイツに占領されると、ここでもユダヤ人迫害が始まります。一家は強制収容所に強制移送されることを避け、オランダ人同僚たちの支援を受け、小さな隠れ家で生活することになります。

 1944年、何者かの密告により、隠れ家の人々はゲシュタポに連行され、強制収容所に移送されました。姉妹はベルゲン・ベルゼンの収容所で解放の数週間前にチフスで亡くなり、最終的に隠れ家にいた8人中、ホロコーストを生き延びたのは姉妹の父親、オットーだけでした。

 隠れ家で、実はアンネと同じように、マルゴットも日記をつけていました。残念ながらそれは紛失し、私たちは読むことが出来ません。繊細で知的なマルゴットが隠れ家で何を思い、何を綴っていたのでしょう。

 アンネとマルゴットは隠れ家の中にいながら、時おり手紙を書き合っていたようです。その手紙も残っていませんが、アンネはマルゴットからの手紙の一部を彼女の日記に書き写しています。それはアンネとペーターの関係について、マルゴットが思うことが綴られていました。隠れ家で共同生活を送っていたヴァン・ペルス家の息子、ペーターとアンネは互いに好意を抱くようになり、屋根裏部屋で胸の内を明かし合い、初めてのキスをかわします。マルゴットは二人の関係を知っていたのでしょう。

「アンネ、私は昨日、嫉妬なんてしていないとあなたに言ったけれど、あれは50%しか本気ではありません。正直な気持ちはこうです。あなたにもペーターにも嫉妬はしていない、ただ私には私の考えや感情を打ち明けられる人がいないこと、そしてこの先も見つけられないであろうことが残念なのです。でも、だからこそ、あなたたちには心から信頼し合える仲でいてほしい。あなたはすでに他の人たちにとって当たり前であるはずの多くのことを失っているのだから」

当時、マルゴットは17歳くらいだったと思われます。短い文章から、特殊な状況下における若い女性の孤独と妹への愛情が痛いほど伝わってきます。マルゴットの日記が残っていないことは残念ですが、それと同時に、彼女の繊細で優しい感性が世間の目に晒されなかったことは良かったのかもしれない、とも思うのです。


アンネ・フランクの姉、マルゴット・フランク。

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