いっしょに“居る”こと

みなさんは、今どなたと一緒にいますか。
どんな人と一緒にいたいと思いますか。

そもそも、なぜ一緒に居るのでしょう。

楽しいから。安心するから。
喜びや悲しみを分かち合いたいから。
落ち込んだときに慰めてもらえるから。あるいはその逆もあるでしょう。

金八先生の有名な言葉にもあります。
人は一人では生きて行けない。人という感じのように、支え合って生きていく…
正確な引用ではなくて申し訳ないですが。

間違いではない、と思います。
しかし、一緒に居る理由には納得がいかないのです。社会の中では、人と関わらなければ生活ができないからです。

ではプライベートではどうですか。
一人で過ごす時間が好き。一人の時間がほしい。一人〇〇なんて言葉もポジティブに捉えられることが増えたようにも感じます。
それだけだれかと一緒にいなくてもいいな、大丈夫だ、と思う人たちもいるのではないでしょうか。

でもやはり、私自身は「だれかと一緒に居たい。」と思うのです。


なぜか。
結論は、絶対的な味方がほしい。
絶対的な味方になりたい。だからです。

父との関係が、大きく影響しています。
大学在学中に、両親が離婚しました。
母親の不倫の末に。

もともとファザコンの気はあったのですが、拍車がかかったのがこれ以降。

父とは、海外旅行にもたくさん行きましたし、父の仕事(職人だったので、自営業で自宅でしごとをしていました。)をじいっと眺めていることもありました。これは本当に幼い頃からなのですけども。
もちろん大げんかもして、楽しい旅行をぶち壊しにしたこともざらです。今となっては笑い話で良き宝物ですが。

愚痴や不満を言っても、ふうん、なるほど、で笑って受け止めてもらっていました。さらには、頑張りすぎじゃないの。いつもしっかりやってるからね。なんて。


「早くいい人見つけて出てきなさい。」



父の口癖です。
愛されていましたね。

いつでも味方になってくれていた父のように、自分もなりたいと思うようになり、そのためには心からの、心の根底からの繋がりが必要だと気付いたのです。
父で満足していた自分は、父が他界してからやっと、その関係を他者と築きたいと思えたのです。


父が大好きって話をしたいわけではなく。

これまで、多くの人に、一方通行な思いをさせてきたことが多々あったのではないだろうか。と、振り返って不安に思いました。
だから一時的な関わりではなく、今後は人として深みが増す関わりを大切に生きていこう、そう思ったときに、何のために一緒に居たいのかをはっきりさせておくべきだと考えたのです。

ずっといっしょにいたい、なんて思える人ができたら、こんなに幸せなことはないでしょうね。お互いに想い合えなければ将来的に意味はないのですが。
そんな気持ちを持てただけでも自分としては幸せな成長かなと思うところです。


要望があれば言ってください、なんて言われてしまったので返答に詰まって詰まって。


いつも味方でいてください。
こちらもいつも一番の味方でいます。

まだ伝えられず、喉の奥に絡みついたままです。


会いたいよりも、いっしょに居たいのです。
心の底から、だれかと居たいと思っていることは、絶対的な繋がりがほしいのでしょう。

見付けるのは、ちょっと先でしょうか。
それとも灯台下暗しということも。


そろそろパンの一次発酵が済むからかしら。
ではまたどこかで。

ここまで、おつかれさまでした。
読んでいただきありがとうございます。

※一度書き終えたものが、半分以上消えてしまい、ほぼ書き直しでした。途中、諦めかけたのですが、読んでくださる方がいることを信じて頑張りました。同じこと書けていないですが、二度も書くって体力必要ですね





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