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【タワー多和田】リトケイ乗組員の「きょうも島日和」

みなさんにふるさとはありますか?
僕にとっては、ルーツがある沖縄のやんばるや宮古島、那覇などがふるさとです。

自分のふるさとが、ある瞬間からなくなってしまうとしたら、どう思うか。
先日「シマ育」の調査で出かけたトカラ列島で、僕は究極の感覚にふれました。

洋上から見ると妊婦が横たわっている姿に見えることから「子宝に恵まれる」という言い伝えもある小宝島

屋久島と奄美大島の間に浮かぶトカラ列島は、南北160キロの村。

有人島は北から、口之島・中之島・諏訪之瀬島・平島・悪石島・小宝島・宝島。臥蛇島・小臥蛇島・小島・横当島・上ノ根島という無人島を含めた十島村という村です。

僕は今回、悪石島・小宝島・宝島におじゃまして「シマ育」環境の調査を行いました。十島村の各島は人口50人台から150人台までと、規模でいえば極小離島ばかりですが、すべての島に学校があり、離島留学制度で島外からの子どもたちを受け入れています。

リトケイが今年はじめた「シマ育」は、シマという地域共生社会のなかで人と自然と文化のなかで育つことのできる、離島地域の事例を紹介しながら、離島留学や親子移住などで、島とつながる親子を増やせるようスタートした企画ですが、リトケイが島と親子の出会いをサポートしたいと思ったのは、島の未来を左右するのは「人」であり、極論を言えばは島を無人島にしないためだったりします。

離島50周年記念誌『臥蛇島の記憶』

十島村にある無人島の臥蛇島は、半世紀前まで人が住む島でした。人が減り、船の荷下ろしがままならなくなってきたことで、1970年に4世帯16人が離島して無人島に。それ以降、十島村は「第二の臥蛇島をつくらないこと」を目標に、一時は500人台に落ち込んだ村の人口を700人近くまで回復させてきました。

週2便往復する定期船に乗って人口50人台の小宝島に着くと、ヘルメットをかぶって通船作業を行っていた男性が挨拶をしてくれました。

その方は今回の調査で取材の約束をしていた小宝島小中学校の教頭先生。ここで僕は、教頭先生も船を出迎える大事な仕事を担う一人なのだと知りました。

小宝島の上り便着は早朝5時半過ぎ。この時間も先生たち含め島民で通船作業を行う
毎週土曜日にまとめて届く生活品。皆で手分けして各世帯毎の札の箱に仕分けしていく

3島の調査中、ある人は「どうしたらこの島を残せるのか」とおっしゃっていました。トカラ列島のように本土から遠く、一つひとつが小規模な島が、島の暮らしや文化を残せているのは、離島留学や移住定住策があったからこそ。

島と親子をつなぐ架け橋になるように立ち上げたシマ育が、「第二の臥蛇島をつくらないこと」のためにどう貢献できるか。

いま、島で育っている子どもたちや、親たち、島のおじいちゃんおばあちゃんや、島にゆかりのある人にとって、ふるさとである島を残すためにはどうしたらいいか。

子育て環境や教育環境があれば、子育て層がUターンすることもできるし、離島留学制度があれば、島で育てる子どもが増えて、無人島になることもありません。

どうしたらこの島を残せるか。

島の方にいただいた言葉を胸に、一緒に考え、取り組んでいきたいと思います。

(タワー多和田)


NPOリトケイについて

NPOリトケイは、日本の島々に存在する「小さくても大切な課題の解決に必要な活動」や「島の宝を未来につなげるために必要な活動」を、中長期的に展開することを目的に活動しています。

リトケイは、島を想う皆さまのご支援(寄付・協賛・サポーター)を心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願い島す!

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