医療費削減について、論を飛躍させて考えてみた①

 医療費問題。
 この言葉を聞いただけでも、だれもがおぼろげには内容が分かる程度には当たり前。
 私はそう感じてしまうほど、この問題は常態化している気がします。
 そもそも医療費は、医療が高度に発達すればその分だけ増大するという特性があるといわれています。
 これは一般的な製造業などとは異なる点であり、技術革新、効率化の多くが低コスト化に繋がらないということです。
 むしろ、技術革新、研究によってもたらされた新規技術、新規物質が先端医療として、高コストを強いるということはありがちな話で、仕方のないことです。

 それではどうすれば、医療費を削減できるだろうか?
 そんな疑問を抱く時、その答えのヒントとしての糖尿病治療が挙げられるでしょう。
 糖尿病は、一度発症すると完全に治癒することは無い、と言われています。病状が進行し、糖尿病性腎症にまでなると透析が必要になることもあります。
 この透析は、医療費の三割を占める、とでたらめを言われるほど多額になっている現状があります。実際に医療費に占める割合は5%程度です。
 しかし、一方で、診断を受けてすぐに生活を見直すことにより、薬も使わずにほぼ今まで通りの生活を送っているという例もあります。
 この場合は、先述の透析や医薬品に掛かる費用なども大きく削減しているといえます。
 この違いは何でしょうか?
 私はこれを、予防的視点の有無、であると考えました。

 ここで少し話を変えましょう。
 「無病息災」という四字熟語は誰しも聞いたことがあると思います。
 では、「一病息災」あるいは「有病息災」は聞いたことはあるでしょうか?
 「無病息災」に比べれば耳にする機会は大きく減ると思います。
 「無病息災」が、病無く健康である、という意味に対し、
 「一病息災」「有病息災」は、(一つの)病を抱えながらも健康である、という意味です。
 これは病気を抱えることにより、自らの身体、健康を省み、その結果それ以降は健康に生きることができる、と解釈できます。
 私はこれも予防的視点の獲得であると考えました。

 では、皆を一度病気にしてしまおう!という、極端な主張が飛び出してきそうな流れですが、それでは本末転倒です。
 あくまで目指すべきは「無病息災」であるべきです。
 では、どうすれば病気を抱えていない状態で、予防的視点を獲得できるのでしょうか?
 それを可能にするのが、教育であると私は考えます。
 これをここでは「教育医療」と呼称しましょう

 「教育医療」は、要するに教育による知識獲得を重点とするセルフケア「予防医療」です。
 医療費に関して言えば、発症した人の進行を止める医療と、重症化した患者の生命活動を維持する医療では、その費用は前者の方が小さいです。
 同様に、健康な人の発症を防ぐ医療と、発症した人の進行を止める医療でも、前者の方が小さくなることは予想がつくかと思います。
 この、健康な人の発症を防ぐ医療を主流におくというのが、「教育医療」の主題です。

 この「教育医療」を実現させるために必要な事項は、
1.予防医療教育の導入
2.教育の改革
3.社会的総体的意識の改革
 の三つであると考えています。

 以上三つの概要は以下です。
1.予防医療教育の導入、とは、セルフケア「予防医療」のための、初歩的医学関連知識獲得を義務教育課程において行うというものです。
2.教育の改革、とは、既存の教育システムでは医学的教育を導入できたとしても、単純なカリキュラム変更に留まり、十分な結果が得られないということは容易に想像ができると思います。そのため、制度及び教育の方法論においての改革を行います。
3.社会的総体意識の改革、とは、予防医療教育が十分に行われ子供たちに知識が蓄積されたとしても、社会全体の意識が変わらなければその変化はとてもゆっくりとしたものになるでしょう。変化を速めるために全年代に対し教育機会を提供し、より適した社会風土を醸成するというものです。

②以降でより詳しく1~3について書きたいです。

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