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映画「舞倒れ」3月19日 先行上映会


初めてnoteで投稿させていただきます。
りこったちーずです。(▰╹◡╹▰)
映画「舞倒れ」を観賞して感想が描きたくなったというか残しておきたいと思ったので書いています。語彙力皆無なのでところどころ文章が変なところがあったらすみません。m(*_ _)m
もし読んでくださる方がいたら、あくまで自己解釈であることをご理解の上よろしくお願い致します。

また、現在先行上映されている映画「舞倒れ」のネタバレを含む感想になりますのでご注意ください。また、とっっっっっっても感想長くなります。

今回映画「舞倒れ」を観賞しようと思ったのは普段推させて頂いているキャストコーポレーション所属の俳優相澤莉多くんが出演・トークショーに登壇することをしったからです。
鑑賞し終えた今は
「莉多くん、
素敵な作品にであわせてくれてありがとう。」
の気持ちでいっぱいです。

映画「舞倒れ」観劇する前に予告動画のようなものを公式さんのYouTubeから挙がっているのを何度もみて公式HPのあらすじを読んで

「日本が戦時中の中、佐渡ヶ島では平和で凌さん演じる吾潟、祥平くん演じる下戸、有澤くん演じる硲の三人が互いに切磋琢磨し能楽を極めていく青春物語」
私は最初こんな解釈でわくわくした気持ちで楽しみにしていました。

実際は青春というよりも儚いその言葉がふさわしいような作品でした。

最初に吾潟、下戸、歌見さん、硲のご両親の千種と願さんが見守る中硲くんの舞から始まり、その後にかっこよかったと舞の感想をお話する三人。
その後のゲームシーン、予告にもあった吾潟が兄弟だというシーン。花火のシーンそこまでは想像通りの映画かなと思っていました。
硲くんのスマホに通知がきたとき。
画面は真っ赤で。何のことかわからずだったのですがそのあとのシーンでそれは戦争中に送られてくる実際に戦時中に配られていた赤紙だったのだと気づきました。
昭和99年を今に換算したら令和5年、2023年。丁度去年。
そう考えたらスマホは普及していても可笑しくないし気づいたときに新しいというか斬新な表現方法だなと思いました。
硲がご両親や歌見さんに別れを告げたあと大きい桶にのっていって下戸が一度振り返ったら誰もいなくて船をこぐ者がこちらを振り返るシーン。
船を国こぐ者がこちらを振り向いたとき身体がなぜかぞわっとしたんです。
一回目も二回目も。その正体はまだわかりません。
まだ見る機会はあと最低でも3回はあるのでその正体をみつけられたらと思います。
硲が戦争にいってしまい亡くなった葬式のシーン。
自分の愛する人が、自分の子供が戦争に行く、それも生きて帰ってこれる可能性なんてないに等しい。でも国的にはおめでたいことで。お祝いしてみおくらなければならない。硲は下戸や吾潟に俺がいない間託すといったけど生きて帰ってこなかった。
自分がその立場になったことはないけれどどんなに辛いだろうと感情移入してしまい涙腺がゆるんでしまいました。
葬式や下戸が佐渡ヶ島を走るシーンのなか度々映る硲の父千種の舞。
扇子が力で折れて自分の手から血が出ようともどんなに血がでてけがをしていて血まみれになろうとも舞続けた。それはきっと硲に思いをはせてなのではないかと思いました。
また、千種こそ”舞倒れ”この言葉が相応しいのではと感じました。
それから鍍金流を受け継ぐ者が下戸だといわれ驚く下戸と自分が後継者ではないことにいら立ちを覚える吾潟。
硲から託された扇子で
映画の中で硲が亡くなったシーンの後から度々映る海や水面。
私はその海や水面は硲を現しているのではないかなと。
硲が亡くなってから吾潟や下戸、その友達、歌見や硲のご両親、それぞれが硲が戦争に行って亡くなってしまったことで水面のように心情が揺れ動いていること、硲が被っていた帽子には海軍とあったから海のどこかに硲がいるのではと夢みたいなことを自分が思ってしまったことの二つが理由です。
下戸派と吾潟派の決闘のシーン。以前観劇させていただいた舞台「東京リベンジャーズ」のアクションをつけられた新田健太さんがアクションをつけられていること、そして莉多くんのアクションが大好きなのもあって話の内容とはずれてしまうのですが個人的に内心大興奮しながらみてました。
莉多くんと新田さんの二人のシーンがあってとっても嬉しかったです。
トークショーで凌さんもおっしゃっていましたが莉多くん、新田さん、凌さんのアクションシーンは凌さんが草履?サンダル?をはいていたのもありリベステに既視感あるな?なんて内心感じてました。笑笑
最終的に硲が受け継いでいくといった鍍金流は正式にどうなったのかはわからない。最後の吾潟と下戸の服装と言動からはこれは数年後の戦争が終わったあとの話なのだろうなと。
もう鍍金流の後継者はいないし硲もいない。
けれど下戸も吾潟も鍍金流を覚えていてきっとそれはいつになっても彼らの心や身体に残ってる。きっとそれでいいんだ。
”舞倒れ”
能にのめりこみ過ぎて身上を潰すこと意味する言葉。
上の本殿にいた能楽の八尾比丘尼の衣装を身にまとった歌見さん。
冒頭で千種が”舞倒れ”の言葉にふさわしいといったけれど
彼女が硲を忘れられず彼のように鍍金流を舞続けていたとしたら、
彼女こそ”舞倒れ”そう呼ぶにふさわしいのかもしれない。そう思いました。

映画「舞い倒れ」
この映画はいい意味で一回みるだけじゃ理解できない。
何度も何度も見て咀嚼して見るたびに新しい発見や物語の意図にきづけられて深みが増す。何度見たっていい。
そんな素敵な映画でした。
鑑賞後に舞の振付師?である飯作さんの舞を生で見させていただきました。
中学生に上がる直前くらいの時期に地元の神社で巫女の舞はしたことがあったのですが、今まで能楽にふれたことも、生で見たこともなかったので緊張で心臓バクバクだったのですが(これガチです。二回見たけど昼も夜も能楽の前は心臓バクバクいってました。)とても素敵なものをみせてもらいました。
音は扇子の開いたり閉じたりする音と八尾比丘尼の声と楽器だけ。
音はきっと録音だと思ったので実質生身一つでのパフォーマンス。
鳥肌がたつくらい綺麗で素晴らしかったです。
飯作さん本当にありがとうございました!!!

昼夜参加させていただいたのですが、トークショーとっても面白かったです。撮影時でのエピソードがきけたことはもちろん相変わらず莉多くん節止まらず。笑笑
莉多くんのこういうところがすきなんだよなぁと莉多くんへの気持ちを再確認しました。(笑)
夜の部の際に各自が自分の家や事務所の伝統を上げていく中で凌さんが自分には何もない、なにかありますか?と言ってくださったときにいえばよかった!と後悔したことがあって、、、。
これは凌さんの家の伝統じゃなくて事務所の伝統になってしまうかもしれないけれど、何年、何十年先の未来にこの映画「舞倒れ」を伝えていくこと。
トークショーの時に凌さんはこの映画は社長がずっと作りたかったものだとおっしゃられていた気がして。その作りたかったものがこの映画「舞倒れ」であるならばこの先の未来に伝えて残していくべきだと思ったからです。
お角違いなことをいっていたらすみません。スルーしてください

今日の感想はここまで。昨日の思い出を添えて*.+゚
また明日書く気がします。*.(๓´͈ ˘ `͈๓).*

それでは〜!*.(*´͈ ˘ `͈*).*


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