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子育てメモ:末息子氏の質問 ~イヤイヤ期~

「僕たち(上の子と末息子のこと)ってイヤイヤ期がなかったんでしょ?」
「お母ちゃんのこと怖いって本能で察知してたのかな」

と失礼な質問をしてきたので、何分遠い昔なので思い出しながら反論したので、せっかく思い出したし書いておこうと思います。

お母さんはコワイ

たしかに私が怒ると怖い。
でも、あんまり怒らない。
命にかかわるような場面(自傷他害)、
嘘をつく、
犯罪系(私の財布から金を抜くとか)
では、それはそれはこっぴどく叱りましたが
イヤイヤ期の頃なんて、叱っていません。
というか、イヤイヤされてないというお話。
結構大きくなった息子も泣いちゃうくらい叱ります。
「お母さんがこんなに僕のことを想ってくれていたのに」
という感じで泣いちゃうようですが。

イヤイヤ期

多分、2歳くらいの、自我が芽生えてるあたりのことを指し、
それまではママと一体だったけれど、自分の考えを持つようになる。
そのあたりのことを指しているのでしょう。

多分、おはようからおやすみまで、主張しまくるのでしょう。
「起きたくない」
「着替えたくない」
「ご飯食べたくない」「これじゃない」
「出かけない」
「帰りたくない」
「歯磨きしない」
「お風呂入らない」
「寝ない」

全否定・・・ツライ・・・。


しかも一生懸命やってんのに・・・。
ママの方が泣きたい

おばあちゃんメソッド(n=2)

たまたま性質のおとなしい(そして単純な)息子たちだったのと
時間に余裕しかない主婦だったので
何の参考にもならない気もしますが一応、思い出したぶんなどを
書いておきます。

「起きたくない」
私の取った戦法は「私は私で歌って楽しそうに起きている法」。
聞こえよがしに「きょうもたのしーい!」「ご飯おいしそーう!」など、
でも心から言ってみる。
簡単に言えば、天岩戸を開けた作戦と同じです。

「着替えたくない」
着替えない!と言っていた時には
「AとBとだったら、どっちがいい?」と聞くと
「こっち!」と単純メンズは答えてくれました。
「そっか!かっこいいね!」と、「Wonderful Choice!!」みたいに
褒めるとにんまりして着てくれたりしたもんです。

「食べたくない」「これじゃない」
これもまた天岩戸作戦で
「え?おいしいのに?」と、一人で美味しそうに食べちゃう。
「一口食べる?」くらいで誘うと、いかんせん単純メンズなので
「あーん」と来てしまうのでありました。
それでも食べないときは、
「そんなときもあるよね、じゃあ後にしよう」
とラップしてしまうところを見せておきました。
ちょっとしたら「やっぱり食べる」なんて言ったりでした。

「行きたくない」「帰りたくない」
これは、「少し遠回り」で難を逃れていた気がします。
火急の時であれば、もう抱えて走りますが、そうでもないことの方が
人生では多いものなので
「そっかー、じゃあ、こっちの道に行ってみない?」
もしくは
「どっちの道に行ってみたい?」
なんて、何度かやると気が済んで一緒に行ってくれたりしました。
帰らない場合は、腹ペコメンズなので「帰ってご飯」と言えば帰ってしまうので参考になるものはあまりなくてすみません。
あ、でも、
「もう少し楽しそうなもので釣る」
というのもあったかも。
「帰りにあそこのワンワンに会いに行こうかな~」とか。
「あの道にまたにゃんこちゃんいるかなー?一緒に探そうよ」などなど。

天岩戸の外側で宴会だが

メソッドなんて偉そうに言っても基本的には天岩戸作戦ですね。
古来行われてきたものでした。
私が鼻歌交じりくらいに
楽しく歯磨き、楽しくお風呂、楽しくお着替え
なんかやってると、なんせ子ども達単純なのでちらちら見るわけです。
岩戸を5ミリ開けてみた感じでしょうか・・・。

しかし!!

そこですぐに行動に出てはいけません
なんなら目も合わせてはいけません。

まだまだひとりで楽しくやってます~。
罠じゃないよ、楽しいんだよ~。
扉が3センチ開いた!手が入るぞ!がっつり食いついた
と思ったら、即座に動く!(罠である)
ここはスピードが要求されます。

着替えもモタモタしていたら気が変わるかもしれません。
ボタンを自分で留めたかった!と泣くかもしれません(罠の罠)。
その場合は1個だけ外してやらせてあげましょう。
歯磨きも仕上磨きまでをササササササーと済ませます。
親は3回磨く覚悟で誘いましょう。

はー。
育児って大変だったよな・・・。

育児って人間育てるんだからそりゃ大仕事

その後は主婦じゃなくなったうえにシングルマザーになったのと
子ども達が育ったので、育児らしい育児もしていないような気がします。

そんな育児期間に、
「育児って人間を育て上げるんだから、結構な修行とでも思わないとやってらんないよなあ」
と感じました。
ヒトという種が続くことへの大いなる何かに平伏している気持ちで育児に臨んでいたわけです。

「自分とは違う人間である」「別の個体」という当たり前のことを
よく受け止めて、彼らの選択を尊重する。
そうされて育った子は、他者に対してもそうできるようになるのかも。
「自分は親の付属物・アクセサリー・所有物」などと
思わないのではないかな。
自分がそうされてこなかったから、自分の子にはそうしてあげたいです。

末息子氏がADHDと軽いディスレクシアがあるくらいで
ちびこい頃は育てやすかったというレアなケースだったのかもしれません。
でも何かの参考になったらいいなと思います。

ちなみに幼少期はこんなでゆるふわ育児でしたが
末息子氏ADHD育児での小学校は地獄のようでした。
子どもの面倒見るから養ってくれる夫が欲しかったでっす。

今ですか?
無事に成人して肩を揉んでくれるくらいには優しいです。

こんな記事を読んで
「頭では分かってんのよ。んなことさあああ!」
「なんなのよ、んなわけないじゃん!」

となる、育児まっさいちゅうのお母さんたち。
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