あるヨーギニーの自叙伝⑥幸せの定義

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底を蹴り上げるチカラ
を書いて、久しぶりに20代の私と
対面することになった私は
かなり驚いた。

あの頃の私が
今の私を想像出来ただろうか? 

記事を書きながら孤独な時代を思い出し
涙を流したのだか
もはやその涙は
それは映画やドラマを観て
泣いているような感じ。

あの頃の私と今の私は
本当に同一人物なんだろうか?

私はあの私だったのだろうか?
なんだか訳がわからなくなった。

不思議だ。
今いる場所にたどり着くとは、 まったく
予測出来なかった。

ヨーガの先生になり
シンガーソングライターとして
歌っているなんて!

未来なんて本当に分からない。
予測不可能なんだ。

ただ、あの時の意志が今の私に
繋がっているのは確かだ。

もう、こんなのはこりごりだ。
絶対幸せになるんだ!

幸せになっていいよ
私は私に許可を出した。

手帳や携帯に忘れないように
貼り付けて、染み込ませるように
なんども口に出して読んだ。

「私は幸せになっていい」

他の人から見たら全く馬鹿げているに違いない。
でもそれくらいしないと
無意識に張り付いた
「幸せになってはいけない」という
思い込みを塗り替えられなかったと
今になって思う。

奇跡だ。

あの時のどん底の私に伝えたい。
絶対に大丈夫だと。
失ったものの何万倍ほどの
素晴らしい出会いがあると
教えてあげたい。

大切なものを失って
真っ暗で先が見えなくて
孤独な日々を過ごしている
今そんな時期を生きている人が
いるならば、
どうかこの話が希望になりますように。 

私は、負け犬と馬鹿にされてきたんだけど
負け犬って誰が決めるの?

生い立ちが不幸だから、
幸せにはなれない
とも言われたけれど。

幸せって
誰かに判断されるものではなく
私が感じるものではないのかと思う。

私にとって苦しみがない事は
本当に幸せだと思う。

ずっとずっと私の心が苦しんできたのだから。
心に振り回されてきたのだから。
今、それがない事が
本当に
本当に
奇跡としか思えない。

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