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ウィーンへ その8

絵画ギャラリーは3つのエリアに分かれていますが、当日は無我夢中で館内を歩いてしまった。

私の美術館での楽しみ方は
有名な絵(展覧会の目玉)・・一通り見るけどついついここに目が
描かれている人を本で見たことがある・・絵自体よりこの人知ってる感覚
その場で好きな絵を見つける・・ないこともある

今回の旅では肖像画の人物の方に興味が。
肖像画は写真などない、簡単に移動できない時代にはとても貴重ですね。
別の人が描くと違う人に見えてしまいますが、それはそれでいいかと。

美術史博物館は絵の題名とか作者名が思いのほか表示されていなかったので有料ですが、音声ガイドを借りた方が良さそう。
絵の展示場所をよく変えるようで。あえて付けないのかな?

写真は現地で撮影したものですが、作品名は美術のサイトのおかげでわかりました。助かります。

マクシミリアン1世と家族(シュトリーゲル)
マクシミリアン1世、息子、娘と孫達。
息子と娘それぞれがスペイン王女、スペイン王子と二重結婚してスペインの王位もハプスブルク家に。
孫もハンガリー・ボヘミアのヤゲェウォ家との二重結婚、ヤゲェウォ家の断絶でハンガリーとボヘミアの王位もハプスブルク家に。

デューラーの「晩年のマクシミリアン1世」は見落としてしまった。
この秋に日本に来るといいなぁ。

ベラスケス「王女マルガリータ」
やっと会えた。が、一番の感想。
この部屋は天然の光が入るので明るく見えるのも良かった。
ベラスケスはドイツ語と英語で題名と絵の解説あり。

薔薇色のドレスの王女マルガリータ・テレサ(3歳)

白いドレスの王女マルガリータ・テレサ(5歳)

青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(8歳)

3歳と5歳は愛らしく、8歳は大人びて美しい青い色のドレスが印象的です。

ベラスケスのマルガリータの絵は他にルーブル美術館とプラド美術館にあります。ルーブルの3歳頃の絵は見たはず。(うろ覚え)
次はプラド美術館で「ラス・メニーナス」とともに10歳の姿を見たいなぁ。

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(1651-1673)はスペインハプスブルク家のスペイン国王フェリペ4世とオーストリアハプスブルク家のマリア・アンナ・フォン・エスターライヒとの間の王女。

これらの肖像画は婚約者の皇帝レオポルト1世のためにマドリッドの宮廷からウィーンの宮廷へ送られていたもの。
ちなみに彼女の母親のマリア・アンナは婚約者のレオポルト1世のお姉さんなので叔父と姪の間柄。
結婚生活は概ね良好ようだったようですが、21歳で没。

ベラスケスの絵は近くで見るとタッチが荒くみえるけれど、少し離れてみると写実的なのだそうです。が、この時はうっかりそこを見るのを忘れてしまったので日本に来た時に確認してみよう。

同じ部屋にあった他のベラスケス作品。(もっとあったかも)

「王女マリア・テレサ」(マリア・テレサ・デ・アウストリア)
フェリペ4世と最初の妻エリザベート・ド・ブルボン(フランス王女)との間の王女。マルガリータの異母姉でこちらはフランスのルイ14世妃に。

この婚礼を取り仕切ったのが宮廷画家兼式部長官のベラスケス。婚礼が終わった後にベラスケスは倒れ、その後世を去りました。。プレッシャー?

「王子バルタサール・カルロス」
フェリペ4世とエリザベート・ド・ブルボンとの間の王太子。従妹のオーストリアハプスブルク家のマリア・アンナと婚約していましたが、早逝。

婚約者を亡くしたマリア・アンナはその後バルタサール・カルロスの父親のフェリペ4世(最初の妻を亡くしていた)と結婚。
マリア・アンナの母親はフェリペ4世の妹。なんとややこしい。

「王子フェリペ・プロスペロ」
フェリペ4世とマリア・アナの王太子。マルガリータの弟ですが、生まれながらに病弱で夭折。


この数日後に次の国王カルロス2世が誕生。しかし、カルロス2世は継嗣を残せず、同母姉のマルガリータの孫を指名するもこの子も夭折し、1700年カルロス2世の死去でスペインハプスブルク家は断絶。
各国の思惑からスペイン継承戦争を挟み、スペイン王位はハプスブルク家ではなくブルボン家へ。

ベラスケスが描いた肖像画についての解説は本が色々出ているのでそちらを読むとします。(プラド美術館に行く前までには読みたいものです)

平和を表す彫像を伴った女帝マリア・テレジア(フォン・マロン)
夫であるフランツ1世亡き後、死ぬまで喪服しか着用しなかったそうです。

男子の相続人がいなかった彼女の父親カール6世は彼女を相続人とするために国事詔書を発行し、各国に承認させました。が、父帝亡き後はこれを反故にされて即位(1740年)後間も無くオーストリア継承戦争へ。領土を失うも戦い抜いて君主権を確立し、オーストリアの近代化の楚を築きました。

マリア・テレジアは慣例として女帝と言われていますが、神聖ローマ皇帝位は男子のみでした。称号としては神聖ローマ皇后、オーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王などなどでした。
政務は彼女が取り仕切っていたので実態は女帝です。

皇帝ヨーゼフ2世とトスカーナ大公ピエトロ・レオポルト(バトーニ)
マリア・テレジアの息子達。
ヨーゼフ2世(右)と弟の後のレオポルト2世(左)
同じ絵をシェーンブルン宮殿で見た気が。

母親が在命中は共同統治だったヨーゼフ2世は母帝の政策と相いれず(母親に反抗?)君主としては今ひとつなイメージ。
兄のヨーゼフ2世に継嗣がなかったため弟が次の皇帝レオポルト2世。
皇帝としては2年弱(1790-1792)の在位期間で死去。兄であるこの皇帝がもう少し長生きしていたら妹の運命は変わったかどうか。

バラを持つ宮中正装姿のマリー・アントワネット(マリア・アントニア)
作者はマリー・アントワネットの肖像画家として有名なヴィジェ・ルブラン
マリア・テレジアの娘でヨーゼフ2世とレオポルト2世の妹。(1755-1793)

フランスからオーストリアへ送られたもので同じポーズの絵がヴェルサイユ宮殿にもあるそうです。ドレスきれい。
母親のように聡明であれば悲劇は避けられたかもと思いますが、そうもいかないですね。

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