責任ってなんだろう

責任をとる 責任を持つ 責任を押し付ける…

様々あるけど私はこれまでの18年という短い時間の中で小さな小さな組織の中における「責任」なるものをいくつか背負ってきたように思う。

無論、学級内、学校内、部活内というとても小さなキャパシティの中だが、「責任」という言葉自体にはなんら変わりないのだ。

具体的に言えばグループワークの班長であったり学級委員長であったり生徒会副会長であったり部長であったり。進んで名乗り出てやったときもあれば周りからありがたいことに支持されて引き受けたこともあった。当時の友人の中にはもしかしたら私に目立ちたがりのレッテルを貼っていた人もいたかもしれない。別にそんなことを感じたことはなかったが可能性は0ではないでしょう?

初めて「立候補」したのは小学3年生の時だった。当時の小学校の卒業式で「在校生から卒業生へのお礼の言葉」というものがプログラムに練り込まれていた。先生によって考えられた数々の小学校行事や日々の学校生活における卒業生への感謝を在校生が大きな声で息を揃えて言う、あれだ。そこで3年生からは代表者が言葉を1人で述べる部分があった。私のクラスの担当は2枠あり、やってみたくなった。ドキドキしながら手を挙げた。何人かいた。オーディションをした。受かった。

「うんどうかい」

たったその1フレーズの呼びかけのために8歳の私は頑張っていた。

「りさちゃんの 運動会 とってもよかったよ」

当時6年生で卒業を迎えた向かいの家に住む友人がそう言ってくれた。私は彼女を所謂憧れの存在として見ていた。優しくて可愛くて。家では姉であるが故、年上の彼女にひっついて歩いていた。そんな彼女にそう言われ私はこの上なく嬉しかった。


それからだった。誰かの前に立つことが好きになった。目立ちたがり。うん、そうなのかもしれない。承認欲求が強かった。うん、確かにそうかもしれない。

「うんどうかい!!!」
から一年半後、父の仕事に伴い仙台に転居した。震災から半年たったばかりの仙台。転校先の学校は揺れの影響で中には入れなかった。隣の小学校に間借りしていた。このときの生活についてはまた別でnoteに記しておきたいと思う。

転校先の学校で、新学期を迎えた。夏休み明け早々、「開会の言葉」だか「閉会の言葉」だかを言う決め事が行われていた。立候補者がなかなかでない中、何かを迷う自分がいた。さすがに転入直後のクラス内で手を挙げるのは無理だった。担任のところに行き、意思を告げた。

「りさこちゃん、やってみたいんだって。勇気ある行動だと思うんでない?賛成の人、拍手!」

東京から来た(千葉だけど)転校生、あいつヤベェ

絶対何人かそう思ってたよ、だけど拍手をもらいやることになった。

それからは臆することなくいろんなことを務めてみた。学級委員、ピアノ伴奏など。仙台の小学校で過ごした1年半はとても濃かった。

中学は受験をし、県立の中高一貫校に進学した。そこでも私の勢いは止まらなかった。

新入生のための生徒会入会式で、生徒会に憧れた。かっこいいと思った。新鮮だった。ハキハキとして前に立ち堂々としている姿。私はそのとき、必ずや執行部に属するぞと固く決めた。

ありがたいことに副会長に就任した。今まで学級や学年という組織での活動だったのが学校へと広がった。一緒に活動していく人たちも優秀な友人ばかりだった。もちろん、その学校の生徒全員が優秀だった。先生も厳しかった。距離感がうまくつかめず、わからず、悩んだ。しかし常に隣り合わせにある「責任」に誇りを感じていたことは確かだった。頼られることや日々の忙しさに生きがいのようなものを感じていた。やらなくてもいいことを進んでやっていたのだから、やはり承認欲求の塊だったのかもしれない。実際、感謝されたり先生に褒められたりすると機嫌がすこぶる良かった。

そうした濃密な日々というのはあっという間に過ぎ去って高校生になった。人が濃かった。帰国生も多いし、天才的な頭脳を持った人も多い。私は埋もれた。這い上がろうともしてなかった。小さく、できる範囲で、自分なりに頑張った。自分から手を挙げることは少なくなっていた。しかしそんなとき、部長を任された。初めてそれを聞いたときはとても身の引き締まる思いだった。正直、望んだ役割とは違ったし私で良いのかと不安もあった。まあでも度々述べているように周りからの支持というのは好きだった。だから頑張れた。

求められるものは高かった。やりたいことも一緒にこなしていくには、それ以上のものを背負うことに限界に近いものを感じていた。正確に言えば、限界を定めていたわけではなくわずな余力を手に握っておきたいといったところだろうか。

求められることに自分の力は及んでないと感じている。今。失敗するし、やるべきことを忘れるし、聞かれても答えられないし。これまで背負ってきたと思っていた「責任」は本当に意味で全然責任なんてものではなくただの良心的な行動だったのかもしれない。もはやかつての自分は偽善者なのか疑うほどに、今もつ「責任」に罪悪感のようなビターな味を覚えてしまう。

そう感じたのは事実であるが、逆に何かを頼んだときに相手に責任感を感じず、端的に言えば迷惑だと思ったこともある。だからきっと自分も知らず知らずのうちに誰かに迷惑をかけ、傷つけ、あの人は責任感がないと思われているかもしれない。自分は精いっぱいのつもりが相手には届いていない。しかしそれも全て自分が招いたことなのだ。

責任とはなんて薄情なのだろう。

あなたは責任を持ったことはありますか?

責任感を感じたことはありますか?

簡単に責任を感じることはできますか?

もしあるのなら、できるのなら

果たしてそれは本当に相手のためになっているのか、それとも自分の満足感のためなのか。

求められているものと求めているものは一致しているのか。

今一度振り返ってみると何か新しいことが始まるかもしれません。

なんて18の無知な学生に言われたってきっと説得力はないと思いますが。

前言撤回

そんなふうにして処理される無責任な発言が無くなりますように。


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