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大学近くの寮に入り、部の仲間と一緒に過ごしたサッカー漬けの日々ーー。

2000年開催の「新人発掘オーディション~21世紀の石原裕次郎を探せ!~」でグランプリを受賞。華々しいデビュー以来、ドラマ・映画で活躍し続ける俳優の徳重聡さんの原点は、生粋のサッカー少年。プロ選手への憧れを抱き進学した立正大学サッカー部での思い出を聞いた。

俳優 徳重聡
とくしげ・さとし/1978年静岡県出身。2001年、立正大学社会福祉学部人間福祉学科(当時)卒業。同年デビュー。18年TBSドラマ「下町ロケット」の怪演を機に名バイプレーヤーとして数々のドラマに出演している。


■Introduction

「将来は、本気でサッカーで飯を食っていきたいと思っていたんです」
 立正大学への入学は、サッカー推薦がきっかけだったという俳優の徳重聡さん。小学校でサッカーを始め、入学した静岡市立高校は県内トップクラスの実力者たちが集まっていた。
「先輩や同級生は、中学のころからのトッププレーヤーで雲の上の存在。彼らのレベルについていくために必死で練習しました」
 高校最後の大会は、決勝で惜しくも小野伸二氏率いる清水商業に負け、全国大会へはいけなかった。しかし、強豪校として各大学からオファーが集まった。そのなかで、徳重さんがスポーツ推薦入試を受けて合格したのが立正大学だった。

■寮生活1年目、つらかったのは電話当番!?

社会福祉学部へ入学。熊谷キャンパス近くの寮に入り、大学生活がスタートした。平日は、朝の点呼から始まり、寮の食堂で食事をとり、日中授業がない時はトレーニング、夕方は全体練習。土・日・祝日は練習か試合で、オフは月曜日だけという、まさにサッカー漬けの日々を送った。決まり事も多い寮生活で、特につらかったのは「電話当番」だったと笑う。
「今もあるのかな? 基本的には寮の電話番です。朝晩の点呼を館内放送で呼びかけたりもします。朝点呼の時は音楽をかけるんですが、僕は『クイーン』のロックを大音量で流して先輩に『うるさい』って怒られたりしましたね。練習が休みの月曜日に当番が回ってくると、もう最悪で(笑)。代わってくれる人はもちろん見つからず、昼はひとり電話の前で弁当を食べたりしました」
 当時の立正大学サッカー部は、関東2部リーグへの昇格を目指していた。入れ替え戦で健闘はするものの、なかなか2部に上がれずにいた。設備も十分に整っているとは言えず、グラウンドも土だったという。
「実力をつけて、芝生のグラウンドを実現したい!という目標を、仲間でよく話していました」

■プロ選手への道を断念。想像もしなかった芸能界へ

2部リーグ昇格の目標がかなわぬまま、徳重さんは3年生となり、将来の決断が迫られる。最終的に選んだのは、一般企業への就職だった。
「3年の終わりに自分で決めました。プロになるには、プロチームでの練習生を経て本契約を結ばなくてはならないんです。自分は果たして本契約まで行けるのかと、何度も自問自答して。今振り返ると、しがみつこうとすればできたのかもしれない。でもしがみつく勇気がなかったのが、リアルなところかな。当時コーチだった杉さん(現サッカー部杉田守監督)に『プロチームの練習を受けてみるか?』と聞かれても『やめておきます』と答えるだけでした」
 プロになることは断念したものの、サッカー部での経験は就職活動で生きた。いかに真剣にサッカーと向き合ってきたかを面接で伝えると好評価を受けることが多く、就職氷河期と言われた時代に、自動車関連企業から内定をもらうことができた。
 そんな矢先、大学4年の夏にさらなる大きな転機が訪れる。
「いとこが勝手に石原プロの新人発掘オーディションに書類を送っていたんです。寮に書類選考通過の電話がかかってきて、電話番の後輩から呼ばれたんですが、僕は何のことだか全くわからなかったんです」
 徳重さんは、応募総数5万人以上のなかから見事グランプリに選ばれ、華々しくデビュー。俳優として芸能界を突き進んでいくことになった。

■まじめに頑張った成果は今へとつながって

芸能界デビューによって大学生活は一変し、卒業までほとんど大学に行けなくなったが、この時期に受けた一本の電話が忘れられないと話す。2000年11月、立正大学サッカー部が関東2部リーグへの昇格を勝ち取ったという知らせが届いたのだ。徳重さんは石原プロで合宿中だったという。
「勝ったぞ!と、電話がかかってきたんです。対戦相手はたしか早稲田だったかな。『マジか! ようやく夢がかなったな!』とそれは喜びました。ずっと頑張ってきましたからね。『おまえがいないほうが2部に上がれたわ』なんて冗談も言われましたけど(笑)」
 徳重さん自身はその場にいられなかった寂しさもあったが、仲間がかなえてくれた関東2部リーグ昇格が、大学時代の一番の思い出だと振り返る。
「今の立正大学サッカー部は、僕らのころよりずっと強い。グラウンドも立派になったと聞きました。僕らが夢見た芝のグラウンド、すごいですよね。当時まじめに頑張ったことが今につながっていると思うと、どこか自分も励まされます」

■視野をもっと広げて。将来への糧に

デビュー後は、俳優の道を邁進してきた徳重さん。大河ドラマ「どうする家康」では私欲むき出しの猛将を演じ、サスペンスドラマでは狂気のDV夫役を怪演。どの役においても、徳重さんの根底にある武骨な実直さが見る者を魅了するのだろう。
「まじめに愚直に演じていく。それしかないと思っています。サッカーに打ち込んで努力を重ねた大学時代は、俳優として活動する上でも大きな支えになっています。ただ、今振り返ると、授業をもっと熱心に受けておけばよかったな。自分自身に引き寄せて学んだり深めたりできたはずなんですよね。それは将来必ず自分に返ってくるし、人生を幸せな方向に導いてくれると思うんです。その機会が大学にはある。視野を広げて糧にしてほしいと、今の大学生には伝えたいですね」

文=塚原加奈子 写真=小黒冴夏


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