プロミシング・ヤング・ウーマン

性犯罪ってつくづく加害者に甘いなぁと再認識した映画だった。
以下ネタバレあります。



キャシー死ぬ意味あったのかなーーーー
強姦の主犯格の人生を狂わせる、って意味では成功なのかもしれないけど、それと引き換えにキャシー死ぬの納得いかない。

この問題、殺人として裁かれても意味がない。
性犯罪は性犯罪の問題として裁かれて欲しい。
この物語において一番重要なテーマが結局オマケ扱いになってしまったことにがっかりした。

冒頭のお持ち帰り男達の方がまともに裁かれてる。結局社会問題にすらならず個人の問題でしかないよね、そんな現実を突きつけられたような気になる。

滑稽なのは加害者男性達よりも、
罪として認識させ「わからせ」まで成功してるのが、事件に関わってない手を差し伸べなかった女たち

同じ女性として信じられない部分もあるけど、怒りを向けるべき相手は強姦した連中だと思う。


あとさ、被害者が加害者を許す儀式?

女が誰かの過ちを絶対に許さなければならないっていう構図いつまでやるの?
(宗教が由来してたって、私は納得いかない)

加害者が反省してるエピソードはあっても構わない。そうなんだーって思う。
現実の世界で、個人間でそういったやり取りがあったとしても、それは当事者の問題だから理解はできる。

でも「性犯罪を取り扱った映画」としてそういう演出をする必要があるかって言ったらまた別の話。

性犯罪はただでさえ軽く扱われてしまうから、女性がそれをわざわざ許すシーンいるかなぁ‥と引っかかってしまって。

案の定、物語の上でも加害者は逃げる隙さえ見つければどこまでも保身に走っていた。逃げたもん勝ち、謝ったフリしたもん勝ち。それが出来る世の中じゃダメだっていうメッセージ性が欲しかった。

許さない、は女が誰にも邪魔されずにできる唯一の抵抗でもある。

こういう題材の映画でさえ、女は理解があって当然、許して当然なんだもんな。この概念が女性を滅茶苦茶生き辛くさせる。

キャシーが生きて復讐を遂げるからこそ視聴者も勇気をもらえる。

もっと怒りを前面に出して許さないぞっていう気概のある作品が見たい。

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