Happy Birthday, dear Love-tune!
青春のきらめきとは残酷だ、と思う。高校の修学旅行は1回でよかったし、体育祭も文化祭も3回で十分だった。私はいいよもうそろそろ飽きてきてるし、そういうのに振り回されるの疲れるし、そういうの好きな先生いるじゃん、私苦手なんだよ。だってあなたの記憶の中にいる私は随分都合のいい「センセイ」ってキャラクターだし、そこからはみ出ると悲しそうな顔をするし、別に悲しませるつもりなんてないんだよ、だからさぁもうぼちぼち距離取ってこうよ、そうだね、友達のお母さんくらいの、ちょうどいい他人みたいなね。私、アンタのカーチャンじゃないからね。
人の思い出の片隅に自分が都合よく切り取られてるなと感じて、それが無性に嫌だった時期がある。青春のエッセンスで体よく彩られて、もう二次創作みたいじゃんなんて、辟易していた。
青春というのは誰かが傷ついたことを酷く上手に無視する。
自分がほろりと流した涙に何かの解決を見出して成就させる。それはほとんどの場合、涙を流した当人だけの問題であって、その青春を演出するための登場人物として私がいる。「青春」はめんどくさい。かかわりたくない。出来すぎることもなく出来なさすぎることもないちょうどいい感じの子と、明日の提出物の確認をするくらいが一番いい。
でも私、青春キラキラ学園ものとか、熱血教師もの、大好きなんですよ。登場人物の中に「私」がいないとすごくホッとする。虚構の世界ではどんなにキレイゴトを言っても、現実に誰も傷つくことがない。私がLove-tuneを好きになったのは、顔のきれいな男の子たちが、イマドキ珍しく頭使いながら茨道を選んでガチンコ勝負してるって理由なので、そうしたエモさに包まれた横アリにいるのは、正直前述のとおり息苦しかったわけです。これは、叶わなかった夢の言い訳だ、と、思ってしまった。私は、花道に彩りを添えるための登場人物にされている。
けれどそう思ったその日からも物語はどんどん動いて、一見何も起こらない日々なのに、不思議とわくわくした毎日を過ごしている。ファンが一喜一憂している間に7人は7人で何かしらしているらしい。ネットの情報を鵜呑みにしてもいけないかなぁと思いつつ、顕嵐くんが載っている雑誌をつらつら読んでいても、Love-tuneはLove-tuneで元気に過ごしているんだろうなぁ、少なくともそう見えるようにしてくれているなぁと思う。ふとした瞬間にぷつりと切れてしまいそうな細い綱を渡っているようにも見えるのに、彼らはずっと変わることなく画面でも誌面でもキラキラと輝いていて、根拠のない安心感を常に与えてくれている。よくできたタイミングでsupermanに会ってしまった。これまたよくできたタイミングでグループの将来について大きすぎるほどの夢を語ってもらった。きっとしばらくは良い知らせなんてないんだろう、これからもずっとないのかもしれない。それでも、諦められない、諦めなくていいんだよ、頑張るから、頑張るから、頑張るから。息切れしそうになって立ち止まって、すうっと深呼吸をする。たくさんの言葉と笑顔が肩を叩いて通り過ぎたら、じわりにじんだ汗が乾いてまたゆっくりと歩きだす。諦められない、諦めなくていいんだよ、頑張るから、頑張るから、頑張るから。みんなで、頑張るんだから。物語がそうやって続いていく。
そういう青春のきらめきの中に、私もいるんだなぁと思う。
ここにいるのは苦しいよって、抜け出す選択をしてきた生徒たちをたくさん見てきた。私は一致団結が嫌いで団結したいリーダーになりたがりの生徒とは基本的に折り合いが悪く、先生は何でそうなんですかって、やきもきさせて傷つけてきた。でもやりたくない人いるしその気持ちはどうなるの?なんて平気で言っちゃうこともあって、今は上手く譲歩できるけれど、昔の私は勝手だったなぁなんて、時々思い返して反省している。真ん中がちょうどいいじゃない、オール3くらいがちょうどいい、世間に求められてるし私も好き。1番を目指したら1番じゃないと満足できないけれど、1番にこだわらなければ何番だって満足できるんだもん。クラス40人、おおよその満足度が得られるのってそこじゃないの?それは一つの正解で、何となく楽しかったよって、生徒は優しいからそう言って卒業してくれた。傷ついていた子には、最後にきれいな言葉をプレゼントした。それは打算でもごまかしでもなくてせめてもの謝罪の気持ちで、ぐすっと鼻をすする音を聞きながら、ごめんねぇなんて申し訳なく思うことで許してもらおうとしていた。
だから何となく、現状が苦しいなぁって思う人の気持ちを、私はよくわかる気でいる。だって苦しいもの、1番を目指して走るのは。そんなことしなくったって、楽しく暮らす方法はたくさんあるんだもん。青春のきらめきはいつだってそうしたネガティブな響きをかき消そうとする残酷な強さがあって、悲しい気持ちを酷く上手に無視するけれど。
それでも私は、Love-tuneのくれる青春のきらめきの中にいたいと思う。
アイドルを都合よく解釈して、二次創作よろしく勝手に偶像を押し付けているのかななんてことも思わない。傷ついている人がいるのかもしれないと分かっていても、1番をつかみに行きたいと思う。夢を叶えようと必死になって頑張っている、頑張って、頑張る、そこには必ず笑顔があって、その先にも必ず笑顔がある。そうやってみんなで歩いて行けば、果てしなく遠くにあると思っていた夢をいつかつかめる日がくるんじゃないかって、不思議な団結力が今の私には心地いい。見たことのない景色が広がっていて、何だかとても面白いよ。諦められない、諦めなくていいんだよ、頑張るから、頑張るから、頑張るから。みんなで、頑張っていくんだから。今日、5月21日。多くの人がLove-tuneの誕生を祝福し、美しい未来をただ真っ直ぐに夢見ている。言葉や映像や画像が無限に湧き出てくるみたいにあふれ出して、キラキラ、キラキラ。きれいだね、いつかほろりと涙を流すことがあったとしても、やっぱり青春っていうのは、いいものだね。
2年前にLove-tuneが誕生したとき、こんなにもメンバーにもスタッフにもファンにも愛され、今日みたいな景色を見せてくれるグループになるなんて、きっと誰も思っていなかった。物語はまだまだどこまでも続いていくし、絶対にそう簡単に終るはずなんかない。明日はどうなるんだろう、来年は?今よりももっと多くの人に愛され、祝福され、たくさんの笑顔があるんだろう。
Happy Birthday, dear Love-tune!
かけがえのないこのきらめきがこの先もずっと続くものと信じて、今日という日に感謝をします。
青春のきらめきはこの上なく残酷だ、けど、あまりにも美しく、尊く、輝いている。
私はそれをずっと見ていこうと、とっくに覚悟を決めているのです。
今日も大好きだったけど、明日も大好きだし、来年も大好きだよ!これからもよろしくね。
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