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【資料】イエス時代のユダヤ教三派の宗教詳細

【資料】イエス時代のユダヤ教三派の宗教詳細
2018(平成30/ユダヤ暦5778)年6月6日 初稿
2020(令和2/ユダヤ暦5780)年6月24日 改訂

関連聖句

聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

『その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。』(使徒の働き5章37節)
『彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。』(マタイの福音書16章12節)
『また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」』(マルコの福音書6章7~11節)
同マタイ10:1, 9-14、ルカ9:1, 3-5
『信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。』(使徒の働き2章44~45節)
『その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、七人とも同じようになりました。そして、最後に、その女も死にました。すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。
そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」
イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。』(マタイの福音書22章23~46節)
『パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります。」しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかもしれない」と言った。』(使徒の働き23章5~9節〉

(関連聖句終)

聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

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『ユダヤ戦記』

『ユダヤ戦記』全3巻セット(フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平 訳、筑摩書房文庫版、ちくま学芸文庫、2009年発行)
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P.243-253、7.総督の支配とヘロデの子孫たち(Ⅱ viii)『ユダヤ戦記1』フラウィウス・ヨセフス著、新見 宏 訳、山本書店 発行、1975年6月15日 初版発行、定価2800円(2018年6月現在絶版)より

『ユダヤ戦記』(AD80年頃出版)解説↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ユダヤ戦記

著者フラウィウス・ヨセフス
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フラウィウス・ヨセフス

凡例
1 章節の区切りおよびその表記法は次のとおり
ローマ数字Ⅰ-Ⅶはヨセフスの本来の巻数を示す。
同じくⅰ-ⅹⅰ等はニーゼ版の章、アラビア数字(1)(5)等は節を示す。なお、ニーゼ版につけられた小節数は〔一二三〕〔四八二〕等、その行の肩に表示した。
通常ヨセフスの引用にあたっては二通りの表記法があり、『戦記』Ⅱ・ⅴⅰ(1)などのように三種の数字を用いる場合と、『戦記』Ⅱ〔八〇〕とする場合とある。本書では後者を採用した。
2 人名・地名等の固有名詞は原則としてヨセフスの用いているギリシア語よみに従って表記した。たとえばカイサル(ラテンよみカエサル)、ウァロス(ラテンよみウァルス)等。ただし、ローマ、エルサレム、エリコ等の地名(ギリシア読みはそれぞれロメー、ヒェロソリュマ等)は慣用に従った。註、総説その他においてはラテンよみ、ヘブルよみを記すことにつとめた。
3 巻末に付したハスモン家・ヘロデ家の家系図は本書に登場する人名の初出の箇所をカッコ内に記した。たとえば、ファサエル〔Ⅰ 181〕とあるのは、ヘロデ大王の兄ファサエルの名が最初に出てくるのが『戦記』では第一巻一八一行目(あるいはⅠ・ⅴⅲ(9))であるという意味である。なお、その当該箇所の欄外に系図参照と記してある。

P.243-〉

総督の支配とヘロデの子孫たち(Ⅱ viii - xii)

viii

(1)〔一一七〕アルケラオスの領地は属領州に格下げされ、それにローマ人の騎士出身のコポニオスという者が総督として派遣されることになり(c)、カイサルから死刑執行を含むいっさいの権限を付与されたのである。〔一一八〕彼が統治していたころ、ユダという名のガリラヤ人が同郷の者たちを煽動して騒乱を起こした。彼は、ローマ人に貢納金をおさめたり、ひとたび神のみを主権者と仰いだのに、なお死ぬべき人間に仕えるなどというのは卑怯者だと言って彼らを煽り立てた。この男は他の分派とは何ら共通点をもたない自分だけの一派を立てた一〈-P.243 / P.244-〉種の賢者(a)であった。

P.243註(c) コポニオス 紀元後六-九年ユダヤ総督。このコポニオスの在任期間はクイリニウス(聖書のクレニオ)がシリアの統督であった期間とほぼ同じである。以下につづくガリラヤ人ユダについては聖書(行五37)に次の記述がある「……そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて叛乱を起したが、……」なお二四五ページ註(a)参照。
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P.245註(a) 知者、あるいはソフィスト。ただしこの一節は『古代誌』ⅩⅤⅢ〔二三〕の記述と矛盾している。後者では、ユダの一派は〈その他のすべての点でパリサイ派と一致していたが、自由については何ものにも劣らない熱情をもち、神のみを指導者、主と仰いでいた〉と言われている。

パリサイ、サドカイ、エッセネ
(2)〔一一九〕ユダヤ人の間には三つの哲学の派があり、第一の派に属するのはパリサイ、第二はサドカイであり、第三のものは、高潔な生活を実践することで有名なエッセネと呼ばれる群である。彼らは生粋のユダヤ人であって、他の宗派にまさって互に愛し合う。〔一二〇〕彼らは快楽を悪として却け、節制を重んじ、激情におぼれて徳をすてるようなことをしない。彼らは結婚を重くみず(b)、他人の子を、まだすなおで撓(たわ)めやすいうちに養子とし、自分の血族のように扱い、自分たちの生き方や風習を心にうえつける。〔一二一〕これは彼らが結婚を廃して種族の保存をすててしまうためではなく、婦人の淫奔な生き方から身を守るためであり、女というものは、決して、一人の男性に、貞節をつくすものではないと信じていたからである。

P.245註(b) エッセネ派のうち、結婚をみとめるものもあったことについてはこの項の最後の一節を参照。なお、エッセネのみならず、サドカイ、パリサイに対する同時代資料とその内容については、『原典新約時代史』(山本書店)四四二ページ以下参照。

エッセネ派の財産共同制
(3)〔一二二〕彼らは富を軽蔑する。彼らの間で驚嘆すべきことは財産の共同制である。一人として他の者より多くの富をもつものはいない。この宗派に入る者はその財産を宗団全体の用途のために手渡す規定があり、その結果、彼らの中には貧困のゆえにはずかしめられるものもなく、余分の富をもつものもない。すべての個人の所有は一つに集められ、兄弟である全員の共有財産となる。
〔一二三〕彼らは油をけがれたものとみなし、もしあやまって油にまみれた場合には身体を拭ききよめる。彼らは皮膚を常に乾燥させ、白い衣(c)を身につけることを好む。
共有財産の監督者たちは全員によって選ばれ、それぞれ特定の職能に従って選ばれる。〈-P.244 /

P.245註(c) 白い衣については二四九ページの註(a)参照。

/ P.245-〉
エッセネ派の友愛
(4)〔一二四〕彼らは特定の町をもたないが、どの町にも大ぜい住んでいる。
この宗派の人はどこから来ても、すべての財産をあたかも自分自身のもののように自由に用いることができる。また一度も会ったことのない仲間の家に、あたかも親友であるかのように出入する。〔一二五〕したがって、彼らが旅行するときは、何一つたずさえることをしない。ただ盗賊に備えて武器をもって行くだけである。〔一二六〕この宗派のある町にはかならず旅行者の世話をする役目の人が任命されていて、衣類やその他の面倒をみる。彼らの服装や身のこなしは、脅かされて成長した若者のように見える。〔一二七〕彼らの間では物の売買はしない。それそれが他人の必要に応じて自分のものを与え、自分に必要なものをもらう。ものを分けたり必要に応じて用いてもいっさい代償を払うことはない。
宗教的共同生活
(5)〔一二八〕その宗教について言えば、彼らは独特な敬虔の型をもっている。太陽が昇る前には日常のことがらについて一言も語らず、太陽が昇ることを祈願するかのように、それに向〈-P.245 / P.246-〉って父祖伝来の祈祷を捧げる(a)。〔一二九〕そのあとで監督者が解散を宣告すると、一人一人の習熟した仕事につき、第五時までは休みなしにはたらき、第五時になるとふたたび一か所に集まる。この時は麻の腰衣をつけて、冷水に沐浴する。
この潔めの式がおわると特別の部屋に集まるが、この部屋には他の宗派のものは絶対に入れない。こうして身を潔めたののち、あたかも神聖な宮に入るように食堂に入って行く。〔一三〇〕彼らが沈黙のうちに席に着くと、パンを焼く者は順次パンをくばり、料理人は一皿だけの食事を各自の前にそなえる。

P.247註(a) エッセネが太陽礼拝を行なったとする典拠としてこの節が引用されるが、本文を注意ぶかくよむと、太陽礼拝とは解しえない。なお、ミシュナ・スッカーⅤには神殿をすてて太陽を拝んだユダヤ人がいた、とある。

共同の食事
〔主〕〔一三一〕祭司が食事の祈祷をするが、祈祷がすむまでは食事をしてはならない。食事がおわると、祭司はふたたび祈るーー食前と食後に彼らは生命を与える神をあがめるのである。それから、衣を聖なる衣としてかたづけ、夕暮までふたたびはたらく。〔一三二〕仕事をおえて帰ると同様に食事をするが、もし客があればいっしょに食卓に着く。彼らの住居は叫び声や騒ぎになやまされることはない。また討論する場合にはつねに自分よりも地位の高い者にゆずる。〔一三三〕外部の者にとっては、彼らの沈黙は何かおそろしい神秘と感じられる。その理由は彼らが常に謹厳なことと、飲食を自然にかなったものに(b)限っていることによる。

P.247註(b) 肉食をさけること、また儀式以外に酒をのまないことを意味すると思われる。

エッセネ派の秩序
(6)〔一三四〕彼らは何事も目上の者の指導なしにはしないが、二つのことだけは自由意志にまかされている。すなわち、人を助けることと、あわれみを与えることである。助けるに値するものを求めに応じて助け、乏しい者に食を与えることは自分たちの判断にまかされてい〈-P.246 / P.247-〉たのである。
親族に物をおくるには執事たちの許可がなければしてはならない。〔一三五〕彼らは義憤を抱く場合を心得てはいるが通常は怒りを抑制し、誠実さにかけては何人にも劣らず、平和の仕え人たちである。
彼らの語る言葉は一言一句が、いかなる誓約よりもたしかであって、彼らは誓いをしない。誓いは偽証よりも悪いと見なしている。それは、神を引き合いに出さなければ信じてもらえないような人間は、すでに滅びに定められているからである。
〔一三六〕彼らは古代の文章に異常な関心を示し、特に霊魂と肉体の向上に関する文章を選んで学ぶ。それゆえに、彼らは病気を治癒するために薬草の根を研究したり、各種の石(c)の成分をしらべるのである。

P.247註(c) 魔よけ、またはお守りのようなものに用いる石のことか。

エッセネ派に入団する者の訓練
(7)〔一三七〕この宗派に入る願いをもつ者は、ただちにはうけ入れられない。彼らはその人に一年の間外部にとどまって同様の生活様式を守ることを要求するが、〔一三八〕この際小さい斧(d)と先に〈-P.247 / P.248-〉述べた腰布と、白い衣(a)を与える。この期間がすぎて、彼が自制心の証を立てれば、彼らの生活に近づけられ、潔めの〔式〕のより潔い水にあずかることができるが、それでもなお共同の生活に入ることはゆるされない。この忍耐心の証明がなされたのち、彼の性格がさらに二年間ためされ、もしふさわしいとみとめられたときにはじめて仲間に登録される。〔一三九〕しかし、共同の食事にふれる前に、恐るべき誓いを人びとの前でしなければならない。第一に神を畏れること、次に人びとの間に正義を確立し、故意にもせよ、命令をうけた場合にせよ他人を傷つけることをせず、不正を憎み、常に正しい者の味方をするようにつとめること。〔一四〇〕すべての者、ことに権力をもつ者を信頼すること。なぜなら、いかなる職務も神から与えられたもの以外ではありえないから。彼自身が規律を保持する役についた場合にも、その権威を濫用しないこと、また服装やその他の装飾によって目下の者よりも目立つようにしないこと。〔一四一〕常に真実を愛し、偽り者をあばき、その手は盗むことをせず、その魂は汚れた利益(文字どおりには、聖くない利得)に遠ざかること。仲間の教徒に対しては何事もつつみかくさず、外部の者に対しては、たとえ死の苛責を受けてもいっさいもらさないこと。〔一四二〕これらのことに加えて、彼は、自分自身がうけたとおりの教え以外は何人にも伝えないこと、人のものを奪わないこと、また同様に、宗派の文章と天使らの名を保持することなどを誓う。このような誓約によって、新入者は宗派に加わるのである。

P.247註(d) 小さい斧、排泄物を処理するための用具。
P.249註(a) この記述によると白い衣は儀式のときだけ用いたらしい。エッセネの成員で沐浴の式に参加できる者にのみ与えられた。ただし二四四ページによると平常でも白い衣を好んだとあるので、これらが別々の衣か否かは問題がある。

追放の刑
(8)〔一四三〕重大な罪を犯したものは宗派から追放される。断罪された追放者たちはしばしばき <-P.248 / P.249-> わめて悲惨な最期をとげる。というのは彼は誓約と習慣に縛られて、他の人びとの食べる食物を食べることができず、草を食べ、飢えによって肉体をすりへらし、ついに死んでしまう。〔一四四〕このため、多くの者は、最後の瀬戸際であわれみをかけられてつれもどされる。死の寸前まで苛責をうけるならば、その罪に対する刑罰は十分だと考えられるからである。
共同生活の規律
(9)〔一四五〕彼らは裁判をするにあたって最も細心であり、公正である。一〇〇人以上の人が同席していなければ宣告を下さない。しかし、いったん定められたことは取り消しがきかない。彼が神に次いでおそれる対象はその立法者の名であり、もしこれを冒瀆する者があれば死罪にされる。〔一四六〕彼らは長老と多数の者に対する服従を重んじる。十人の者がともにすわっていたとすると、だれも他の九人に逆らって語ることはない。〔一四七〕彼らは人びとの集まりの中に向って、あるいは右に向って唾を吐くことを禁じ、また、他のどんなユダヤ人よりも厳格に安息日の労働を禁じている。彼らは、安息日に火を点ずることのないように前日に食事を調えるばかりでなく、食器をかたづけることもせず厠にも行かない。〔一四八〕その他の日には、彼らはそのつるはしーー新入者に与える手斧(b)というのはこのような種類なのであるがーーで一尺位の深さの穴を掘り、神からの光線〔つまり太陽〕の気を損じないために外衣〈-P.249 / P.250-〉をもって身をおおいながら、穴の上にしゃがむ。ついで彼は掘り出した土をもとの穴にかぶせる。彼らはこれをするのに最も人気のない場所を選ぶ。このような排泄は自然の機能であるにもかかわらず、彼らはあたかも汚れたように、事後に身を洗いきよめるのが常である。

P.249註(b) 二四七ページ註(d)参照

階層秩序
(10)〔一五〇〕彼らは訓練をうけた生活の期間によって四つの階級に分れている。下級者が上級者に対する相違ははなはだしく、もし下級者が上級者にふれるようなことでもあれば、上級者はまるで異邦人にふれでもしたかのように沐浴する。〔一五一〕彼らは長生きで、多くの者は百歳以上まで生きる。これは、私が思うに、単純で規則正しい生活のおかげであろう。彼らは危険を意とせず、精神力で苦痛にかち、名誉ある死ならば、不死にまさると考えている。〔一五二〕ローマ人との戦いは、極限まで彼らの霊魂を試みた(a)。そのとき、拷問をうけ、責めさいなまれ、火に焼かれ、打ち砕かれ、あらゆる種類の責め道具にかけられて、彼らの立法者の名を冒瀆し、または禁じられた食物をとるように強要されても、彼らはそのいずれをも犯さなかったし、拷問するものにへつらったり、泣きついたりするために身をかがめることさえしなかった。〔一五三〕かえって苦痛の中にもほほえみを浮べ、処刑する者と軽口をたたきながら、喜んで生命をすてた。間もなくふたたびその生命をとりもどすもののように。

P.251註(a) この一節は意味不明。

霊魂の不死と死後の運命に関する教え
(11)〔一五四〕というのも、彼らは、身体は滅びるものであって物質的な肉体は一時のものであるが、霊魂は不死であり永遠であるという教理を確信していたからである。また霊魂は最もすぐれた大気の中から流出し、自然の呪縛によって、あたかも牢獄にとじこめられるよう〈-P.250 / P.251-〉に肉体の中に引きこまれているが、〔一五五〕いったん肉体の束縛から解放されるや、喜んで天上にひき上げられる。長い奴隷の苦役から自由にされたかのごとく。ギリシア人と同様に、彼らは、生命というものは大洋のかなたに保護されていると信じている。そこは雨にも雪にも暑さにもおかされず、大洋からのそよ風さえ吹きこんで快い気分をつねに保っている。しかし、邪悪な霊魂のためには陰惨な冷い洞穴がそなえられており、永遠の刑罰があると考えていた。〔一五六〕私が思うに、ギリシア人も同様の考えをもっていたようであって、勇敢な人びと、すなわち彼らのいう英雄や半神たちのためには「祝福された者の島」があると考え、悪人の霊魂のためには陰府に神を畏れない者の場所があると考えていた。彼らの神話によればここにはたとえばシュジフォスとか、タンタルス、イクシオン、ティティウスのような人間どもが刑罰をうけているのである。彼らはまず霊魂が不滅であると主張し、続いて徳をすすめ悪をいましめようとつとめていた。〔一五七〕なぜなら、善人は死んでのちまでも報いをうけようと望んで生きている間により善くなるし、悪人は、かりに生前にうまく悪事露顕を免かれても死後に永遠の刑罰をうけるとなれば、その激情を抑制するであろうから。〔一五八〕以上がエッセネの霊魂に関する神学上の見解であって、ひとたびその哲学を味わった者には抵抗しがたい好餌となっている。
予言の能力
(12)〔一五九〕彼らの中には、将来のことを予知できると公言する者さえいる。彼らは聖なる書物〈-P.251 / P.252-〉に通じ、さまざまな潔めの形式や預言者の言葉に通暁している。その預言がはずれることはほとんどない。
結婚をみとめるエッセネの一派
(13)〔一六〇〕さらに、もう一つ別のエッセネの宗団がある。生活様式、習慣、規律等において他と同じであるが、結婚に関する見解だけがちがっている。彼らは、結婚しないものは生命の大切な部分、すなわち生の存続を断ち切るものであるのみならず、もし全員がこういう考えをもったら、種族はまもなく滅亡してしまうと考える。〔一六一〕彼らは花嫁にも全く同様に三年の試験期間を課し、三つの潔めをおえて、子どもを産む力があることを証明したならば結婚する。彼らは妻がみごもっている間は性交しない。それは彼らの結婚が快楽のためではなく子どもをつくるためであることを証明している。婦人は潔めの沐浴の際、衣をまとう。ちょうど男子の腰布をつけるように、これがこの宗団の状況である。
パリサイ派とサドカイ派の対比
(14)〔一六二〕最初に挙げた2つの〔学派〕のうち、パリサイは、律法諸規程のもっとも厳密な解釈者と見なされ、首位を占める学派であったが、彼らはいっさいを運命と神に帰した(a)。〔一六三〕彼らは、義を実践するか否かはかなりの程度人間に依存するが、あらゆる行為に運命が関与すると考えていた(b)。霊魂はすべて不滅であるが、他のからだに移ることのできるものは善人のたましいにかぎられており、悪人のたましいは永遠の刑罰をうける、と彼らは主張した。
〔一六四〕二番目にくるサドカイ派は運命を全く否定し、神は悪を命じないばかりでなく、悪を見〈-P.252 / P.253-〉ることさえない高みにいると考えた(c)。〔一六五〕彼らは、人間は善悪の選択の自由をもち、善悪の一方を選ぶのは一人一人の意志である、と主張した。霊魂の死後の存続とか、陰府における刑罰とか、報いなどについては彼らはいっさい否定した。
〔一六六〕パリサイの人びとは互に愛し合い、共同社会における調和をはかった。サドカイの人びとは、反対に彼ら自身の間でも無作法であり、同国人に対してもまるで異国人に対するように乱暴であった。
ユダヤ人の哲学諸派に関してわたくしがいいたいことは以上である。

P.253註(a) 『古代誌』ⅹⅴⅲ〔11-17〕(『原典新約時代史』四四三ページ)参照。ミシュナ・アボート三16にはラビ・アキバのことばとして次のようにしるされている。「すべてのことはあらかじめ予見されているが、自由意志もまた与えられている。」
P.253註(b) 『古代史』ⅹⅴⅲ〔2-7〕(『原典新約時代史』四四三ページ)および註)参照。
P.253註(c) 直訳すると〈神を、悪の命令のみならず、悪の視野のかなたに遠ざけた〉。

(終)

P.243-253、7.総督の支配とヘロデの子孫たち(Ⅱ viii)『ユダヤ戦記1』フラウィウス・ヨセフス著、新見 宏 訳、山本書店 発行、1975年6月15日 初版発行、定価2800円(2018年6月現在絶版)より

訳者(新見 宏)略歴
1923年大連市生れ、日本基督教神学専門学校およびユニオン神学校に学ぶ。日本聖書協会総主事
『聖書の時代史』『現代人と聖書』『死海写本』『死海写本とキリスト教の起源』「死海文書』『外典偽典全集』等の著作・翻訳(一部は共訳または分担訳)、『原典新約時代史』『聖書辞典』の外典・偽典・マカベア時代の項目の執筆と多くの著作がある、日本聖書協会総主事在任中の1979年12月急逝

書籍集

『ユダヤ戦記』全3巻セット(フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平 訳、筑摩書房文庫版、ちくま学芸文庫、2009年発行)
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[まとめ買い]『ユダヤ戦記』(フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平 訳、筑摩書房、3冊Kindle版、ちくま学芸文庫、2009年発行)
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『ユダヤ戦記〈1〉(1975年)』フラウィウス・ヨセフス著、新見 宏 訳、山本書店、1975年1月1日初版発行
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『ユダヤ戦記 1』フラウィウス・ヨセフス著、新見 宏 訳、山本書店、1998年6月1日発行
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『ユダヤ戦記 2』フラウィウス・ヨセフス著、新見宏 訳、山本書店、1981年8月1日発行
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【巻末付録】地図、ハスモン家・ヘロデ家系図、ユダヤ戦記 第一巻 内容年表

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↓初代ヘロデ王建築の砦(王宮)ヘロディオン。アラビアとの国境の丘の上と、エルサレムから60スタディオン(約11.1km)離れた場所の二箇所に建築された。写真はエルサレム近くの人工の丘の上の物。

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↓初代ヘロデの領土の膨張

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↓ハスモン家系図(初代ヘロデ大王[在位BC37-BC4]の妻マリアンメの家系、マタテア〜マリアンメ、BC166〜BC37)

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↓初代ヘロデ大王[BC4年没]〔真ん中ハイライト〕の家系(BC70〜AD100)

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↓ポンペイウスのエルサレム攻撃(BC63)

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↓戦争直前のエルサレム(AD66年頃)

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↓ユダヤ戦記第一巻 内容年表

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(巻末付録終)

どう思われますか?

私達は全員罪を犯しており、神の裁きにふさわしい者達です。しかし、父なる神様は彼の独り子を信じる者達のための裁きを満たすためにキリストを送られました。創造神かつ永遠の神の息子であるイエスは、罪のない人生を送られたのですが、私達が受けるはずだった罪の罰の身代わりとして死んで下さったほどに私達を愛しておられます。彼は葬られ、聖書に書かれている通りに3日目に死人の中から甦られました。もし、あなたがこのことを本当に信じ、心から信頼するなら、イエスのみをあなたの救い主として受け取り、「イエスは主です」と宣言して下さい。そうすれば、裁きから救われ、天国で神様と共に永遠を過ごすことになります。


あなたはどう応答されますか?

もしあなたがクリスチャンではなく、今クリスチャンになりたいのであれば、ただこう言って下さい。「主イエス様、私の罪を赦して下さり感謝します。今日、私はあなたに従うことを決めました。私をあなたの家族の中に受け入れて下さい。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」

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詳しくは以下のリンク先を参照して下さい。
👉【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
https://note.mu/risingdestiny/n/nb11945f61b7a

「天のお父さんからのラブレター」Father’s Love Letter - JAPANESE(7:06)
https://youtu.be/nWYmI_6tK28

永遠のいのちを受け取る(4:56)
https://youtu.be/m13Yae40ot8

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【預言の学び】預言とは&個人預言を受ける際の注意点(改訂版)
イエス様もなさった個人預言 の聖書の実例の解説、現在の個人預言の映像リンク集付き
https://note.mu/risingdestiny/n/n916fab966ed5

なぜ、ライジング・デスティニー(シャイニング・デスティニー)を始めたのか(過去20年間の日本宣教史年表付)
The Reason We started Rising Destiny (Shining Destiny): The History of Japanese Mission in the Past 20 Years
https://note.mu/risingdestiny/n/nc415e4303df2

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note, SNS, WEB上にいる中国の異端のカルト宗教・全能神に関しての注意喚起

【教理の学び】三位一体(トリニティ)と現代の異端
https://note.com/risingdestiny/n/n534048dc9cd1
三位一体(トリニティ、the Trinity):正統なキリスト教の教理
あなたを永遠に愛しておられ、あなたを唯一無二の存在として創造された、父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は、まことにして永遠なる唯一無二のただおひとりの神(創造主)である。父、御子、御霊は、それぞれお互いに永遠に愛しあっておられ、同時にただ一つの唯一まことの神である。
全能神教会(全能神)The Church of Almighty God:中国のカルト・異端。キリストが女キリストとして中国人女性として再臨したと説く。全能神の教祖・趙維山(ジャオ・ウェイシャン 1951年~)は自らを「大祭司」と唱え、大学受験に失敗し精神的に病んでしまった女性・楊向彬を「女キリスト」に祭り上げた。彼女は趙維山の愛人となり、後に妻となる。暴力、洗脳、ハニートラップ、スパイ活動など違法かつ強制的な布教活動を行なう。入会を断る、脱会を希望すると、「護法隊」と呼ばれる実働部隊が出動し、耳を削ぎ落とすなどの残忍行為を行なう。実際に死に至ったケースもあるという。2014年、中国山東省のマクドナルドで全能神信者が布教活動をし、勧誘拒否した女性を店内でモップの柄で撲殺する事件も起こっている。(2014年山東招遠カルト殺人事件)趙維山夫妻は、中国政府から弾圧を受け2000年頃に米国に逃亡している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2014年山東招遠カルト殺人事件
フェイスブックグループ「キリストの羊」、フェイスブックページ及びブログ/HP「聖書の部屋」は一見するとそれと分からないが、「全能神」のサイトなので要注意。全能神信者がよくSNSでシェアしている。全能神信者は、人種(例.中国人が日本人に成り済ます)や性別を偽ってSNSアカウントを大量に作って勧誘活動を行なっている。noteの「高橋 智也」氏(momo125)、「ひで ひろ」氏(biblestudies)は全能神なので注意。
👉異端カルト110番
https://cult110.info/category/zennoushin-kyoukai-chinese-cult/

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