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ユダヤ人は福音の最大の試金石

P.247-251 リック・ジョイナー著『収穫』「12章 イスラエルと教会」より引用
角笛出版より2000年7月14日初版発行

試験

使徒パウロは、ローマ人への手紙11章28節で、「彼ら(ユダヤ人たち)は、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者です」と、驚くべきことを述べました。実際、ユダヤ人たちが福音に敵対しているものだということを理解するのは、教会にとって重要なことですが、それは、私たちのゆえなのです。主は、ユダヤ人を、私たちが混ざり気のない福音を宣べ伝えているかどうかを調べる最大の試金石とされました。純粋な福音が宣べ伝えられるときだけ、ユダヤ人たちは、妬みの心を起こすようになるでしょう。福音にはそれだけの力があるからです。私たちが福音によってユダヤ人たちの心を動かせるかどうかは、私たちが水で薄めることなく真理を伝えているかどうかを判定するリトマス試験紙の役割を果たします。
福音の敵になるようにという使命が与えられていたために、ユダヤ人たちは、世界中の国々に散らされました。そうすれば、どこの国であれ福音が宣べ伝えられる所、彼らがそこにいて、その語られた福音に真っ向から立ち向かい、それに挑戦状を突き付けることができるからです。それは、その福音をより純粋なものとするためです。弱くしいたげられている人たちを主に立ち返らせることは重要ですが、どん底生活を送っている酔っ払い、浮浪者、道を踏み外して、ぼろぼろになっている売春婦を信仰の決心に導くのは難しいことではありません。もし自分が本物を伝えているかどうかを知りたいのなら、ユダヤ人たちに真っ向から福音を語ってください。主がユダヤ人たちに最初に福音が語られるようにされたのは、ユダヤ人たちをえこひいきされていたからではなく、彼らが福音に挑戦状を突き付けることによって、私たちが、救いの泉をもっと深く掘り下げるようになるためです。
ユダヤ人たちが福音に敵対するのには、終わりの時にその重要さを増すイスラエル論争も含め、さまざまな問題に対してその答えを見つけるようにと教会に突き付けられた挑戦状としての意味があるのです。だからこそパウロは、彼の神学書の中でも傑作中の傑作と言われるローマ人の手紙の中で、ユダヤ人の問題を扱ったのです。再び使徒的な働きが完全に回復するとき、使徒たちがイスラエルについて述べたのと同じメッセージが再び語られるようになるでしょう。この使徒のことばによって、主が終わりの日に何をされようとしているかがはっきりとわかるようになり、この終わりの日における主の御目的に備え、その中へ突き進んでいくことができるために、教会に非常な大胆さが与えられるでしょう。
アブラハムの、地における相続人と天における相続人との世の終わりに際しての目的には食い違いがあります。そのため、どちらも他方の協力がなければ、召しを成し遂げることができません。しばらくの間は、ユダヤ人とクリスチャンたちが協力するべきだという考えは周囲の人たちの猛反対に会いますが、時がくると、その件について教会とイスラエルの目からうろこが落ちるでしょう。教会の終末論は、その時まで覆いがかけられたまま、論争が続くことでしょう。霊的なイスラエルと、「現実の」国家としてのイスラエルがキリストにあって一つになる時、この時代は完成されるのです。

祝福

主は、アブラハムに、彼と彼の子孫を祝福する者は祝福され、彼をのろう者はのろわれると約束されました。この御約束は、霊的な子孫と地上の子孫のどちらにもあてはまります。歴史をざっと振り返ると、地上の子孫を祝福した人たちは地上の祝福を受け、霊的な子孫を祝福した人たちは、霊的な祝福を受けたように思えます。今この時、霊肉二つの子孫が一つに結ばれることこそ神の御心であるという証しとして、地上の子孫(ユダヤ人たち)を祝福する人たちが霊的な祝福を受け、霊的なイスラエル(教会)を祝福する人たちが、地上の祝福を受け始めているということをあげることができます。
たとえば、ハリー・S・トルーマンが聖書的に見て正しい行ないをしたからこそ、すなわち、彼が、世論もさることながら、議会がほとんど満場一致で反対したにもかかわらず、それを押し切ってイスラエルを正式な国家として承認したとき、彼の出身州であるミズーリは、アメリカのリバイバルの中心地となるという祝福にあずかり、出身都市のミズーリ州インディペンデンス(カンザス・シティー近郊の都市)は、他のたくさんの国々の祝福となるでしょう。同じように猛反対を押し切ってイスラエルを承認したアンワー・サダトに対する遺産として、やがてエジプトは、国をあげて主の御名を叫ぶようになり、その荒れ地は、純粋な福音で潤されるようになるでしょう(イザヤ一九・一九〜二五参)。
その日が近づくにつれ、私たちがイスラエルに対する神の御目的を理解するとき、ますます御霊による自由を味わうことができるようになるでしょう。このことは、現代史をひもとけばすでにはっきりしていることです。イスラエルが一九四八年に主権国家になった時、癒しのリバイバルが、おそらく一世紀以来この方目にすることがなかったほどの大規模な超自然的力をもって、全世界で起こるようになりました。教会がこれまでに送り出した中で最強の伝道者、また霊的な大使の一人であるビリー・グラハムも、この時伝道の働きを始めました。
一九六七年にイスラエルがエルサレムを奪還したとき、教会は霊的に刷新され始め、ほとんどあらゆる教団に属する人たちが、こぞって聖霊のバプテスマを受けるようになりました。イスラエルが地上の国土を広げるときには必ず、教会も霊の領域において、その領地を拡大してきました。イスラエルの国が国際社会において進むべき道を誤り、領地を分断されるときには、教会も必ず同じ憂き目にあうということにもあなたは気づくかもしれません。終わりの日における神の御計画という点からすると、教会とイスラエルは切っても切れない関係にあり、そのどちらか一方に起こる事は、他方にも反映されるでしょう。
このことは、決して、ユダヤ人たちが、キリストを受け入れなくても神との特別な、満ち足りた関係を結べるということを意味しているのではありません。このように間違った感覚でイスラエルをとらえても、イスラエルは祝福されません。そのような思い違いをしてしまったら、イスラエルは、その考え方に力づけられて、ますます福音に敵対してしまうようになるでしょう。イスラエルは、自分の力に頼れるかぎりは、いつまでも福音に敵対し続けるでしょう。教会は、「この世のものではない」霊的な王国を象徴していると言われます。そして、教会がイスラエルとともにあずかる祝福も、霊的なもののはずです。これは、合衆国のような国々が、一国家として、イスラエルに物資援助するのがいけないという意味ではありませんが、教会には、もっと高尚な召し、すなわち、まずユダヤ人に福音を宣べ伝えねばならないという召しがあります。キリストを受け入れなければ救いはなく、その点については、妥協の余地など全くないはずです。

《終》

P.247-251 リック・ジョイナー著『収穫』「12章 イスラエルと教会」より引用
角笛出版より2000年7月14日初版発行

【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
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【預言の学び】預言とは&個人預言を受ける際の注意点(改訂版)
イエス様もなさった個人預言 の聖書の実例の解説、現在の個人預言の映像リンク集付き
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【なぜ、ライジング・デスティニー(シャイニング・デスティニー)を始めたのか(過去20年間の日本宣教史年表付) 】
【The Reason We started Rising Destiny (Shining Destiny): The History of Japanese Mission in the Past 20 Years】
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