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あの蝉の声、忘れたりしないでね




庭のすももの木に蝉の抜け殻がひとつふたつ。
地元の木は高々く昔は蝉を耳でしか感じられなかった。


緊張していた引っ越しが終わってからもう1ヶ月経つ。
荷解きは不完全で家具なども不揃い。どうかこの不が連鎖しないで欲しいものだ。
落ち着くお気に入りの場所からはまだ少し。

街はどうだろう。
東京の街のどこに住もうが私は家自体には仮住まいの意識が強い。街はある程度住めば都になる方だったが今回は商店街がイマイチすぎて結局40分歩いて、もしくは車で、以前変わらずいつもの喫茶店に頻度変わることなく通っている。

長い距離、長い時間歩くことを私は苦に思わない。ただし夜に限る。

今日は台風の知らせが程良く吹いていて、汗ばむ身体とTシャツの間をすり抜けた。
昔聴いていたアルバムの半分を聴き終えて店に入り、もう半分を帰り道に聴きながら白線の上を歩いた。出来るだけ白線の上を。

よく小学生がやりがちなここはサメがいるから白線以外はNG、というあれを私は一人で歩くときに未だにやる。
高校と大学、29歳の今も白線を歩く。
正直、「おみ足綺麗ですね」と言われるのはこの習慣があったからだと思う。

引っ越した先の街は気に入っていないが、自宅から喫茶店への40分の道がとても気に入っている。
ひとつは驚くほど人がいない。
深夜2時の話だからなのもあるが、ここは東京なのかと疑うほどだ。
地元の人のいなさに似ていて、本当に孤立できるのがいい。
ふたつ目はその40分の道のりの中で二度、お地蔵さんを見かける。行き帰り合わせて四度も真夜中にお地蔵を見てしまうと輪廻転生感があって頭が退屈しない。
毎回、道を間違えていないか自分を疑う。
みっつ目は歩いていても鼓動が速くならない程度の傾斜がある。住宅地をくぐり抜けるとフェンスに囲まれた空き地とその先に一棟、高級マンションが空間を突き抜けているのが辺鄙で気に入っているのだ。
よっつ目はその住宅街には必ず何棟か建築途中の新築の家があって、その香りが毎回幼少期をフラッシュバックさせる。小学生に上がる前かそのあたりに我が家は社宅から家を建てたのだが、その高揚感。朧げながらも。

あまり事細かく記すると特定されるので止めよう。
今なんてのは写真から瞳に映る建物ひとつで場所を特定してくる異常者がいるわけで、例えば私のストーカーがいたとするならばこの日記を読んで死に物狂いで白線の上を辿り、地蔵を探すかもしれない。

うける。


夏が終わりそうで、多分終わっているのだけど、今年は特に夏の思い出がなくて名残惜しい。後ろ髪を引かれる思いでしかないが、きっと毎年そんなものなので秋について考えることにしよう。

夏が惜しいのではなく、枕が気に食わなくて眠れないのだ。
そう言い聞かせて枕から頭を下ろし脚に挟むのだ。

全てが遠く感じる。


日記にするべきことはもっとあるのだけど

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