見出し画像

月を見ない日



ジャケットを羽織らない夜と
指先まで覆い隠したくなる夜と
あまりに無作為な季節である。
今日は一段と暗くなるのが早かった気がする。



生きていると多くのルールが存在して、それが決まりであるものと暗黙の了解であることもある。

正解か不正解か
許すか許すまいか
大体のことは二極化されがちだが
私は中立を選択するか両方を欲しがる。
そこに下心や悪巧みもなく極端を嫌がっているだけだ。

まだ公開していないので詳しく話せないが、私と私の父に取材がはいる依頼があり私と父はそれぞれがそれぞれのタイミングで遠隔取材を受けて最終確認のPDFで私と父は合流した。

正直改めてお互いの思いの確認作業を同時に顔を見ず声も聞かずは初めてだったのかもしれない。普通にちょっと泣いた。

我が家は私の記憶の中では放任主義であるし、躾的なものも見て学べという感じで言語化して教育されることは少なかった。
生々しい言い方をすれば無償の愛と信頼がお互いにある気がしている。
上京し、年を重ねて自覚するようになったのでそれだけで私は上京してよかったと思うし加えて易々と実家に戻り納まることなく過ごすのだ。

父はよく喋るがかなりシャイで母もよく喋るが押し付けることなく私はかなり秘密主義で育っていったために自分のことを詳しく話すこともないし詮索されることもなかったから
親が私についてどう思ってるかも、そんなことすらも考えたことはなかった。

大学在学中か卒業してからか曖昧だが
一度だけ父から米と一緒に本が送られてきたことがあって、さくらももこの「ひとりづもう」だった。内容は省略するが、渋々読んでみた時、私は「あ、父からのラブレターだ」と思った。

私も小学生か中学生の頃、父に一度だけ本をプレゼントしたことがある。何をあげていいか分からず田舎のスーパーの本屋でしばらく迷った後、目を引いた文庫本を渡したのだが大人になってからそれが不倫と友情の話だと知って気まず過ぎた。

父は内容で意思を表明し
私は行為で意思を表明した。
そういう無言のコミュニケーションが心地良かったし思春期であり万年反抗期の私にはありがたかった。

そんな私が誰かに私だったらこうするであろうと仮定の話をする時、何人かに恵まれた人が言えたことだと指摘されたりする。
確かに私は色んな面で恵まれてると思う。ただその指摘に関しては恵まれた人が誰かに提案したり一意見を述べる時点で烏滸がましいあるいは救えないと言い切っているように聞こえる。

だとしたらその考えが厄介なほど危険な臭いがする。
立場の違う人が共存できないとすれば共感を得ることができないからで、同意ができれば世の中は均等に近付くことができるのに人は何故こんなにも不器用なのか。

極端であることが簡単なことも面白いことも承知だが、人が自分で自分の首を絞めてる様子は目を背けたくなるなぁ。

救われたい人は例え騙されていたとしても信仰してでも救われたいだろう。
救いたい人は報われなくとも合意を得て救うことができたら何よりだろう。
救われたくない人はその場から離れるだろう。

一ヶ月前、私のよく考える癖について考えてみたところ、四六時中考える癖を直しようも思いつかなければそれを変える必要性も今はないので考えるものを変えることを選んでみた。

こうやって人は変化していくのかと思うと高揚する。自分の変化が一番肌で感じやすい。
私はこんな話をしながらも文面だと落ち込んでいると思われるかもだがずっと疼いている。私の中の好奇心の比重はかなり大きい。

ラッキーなんだよな。

友達の誕生日サプライズを膨らますワテ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?