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私の時計




時間には足し算も引き算もないが
人生には足し算も引き算もある。



23歳くらいが人生で一番充実していたのではないか、もうあの時を超える日々はない気がする。何もかもが自由なゆえにコントロールの効かないことに心を乱し乱され、皆が不揃いながらも足並みを揃えようとしては転んで笑えていたあの日々が。

周りの人は固定され、普遍的な生活が待っている。
誰かを失おうと新しい命が産まれようと予想と準備で一定の感情からはみ出したりしない。

そう30歳まで本気で思っていた。

思っていたことは逆転し
私は陽気に包まれ新しい感情さえ覚えている。
まるで幼少期のように。

生きてる31年間のデータベースにはない、異例の繰り返しに知らなかったでは済まされない感覚に、誰か教えてくれよと願うほどに自分の感受性を疑う日が続く。

友人達が先へ先へ大人になっていく様をみては私は逆走したくなる。
でも私が幼児返りをしたところで誰も振り向かないのだ。

仕事をする上で相手を「大人」と呼ぶ癖が31歳になってもたまに出てきては「あなたも大人ですが」と返されると純粋に「あ、ほんとだ」と口が開く。

大人であることを忘れさせる東京の罪は重い。

◯◯のせいにすると反感を買うので一旦謝るとして
中学生のいう大人は大体24歳くらいだったか。今考えると無根拠の安易な想像にすぎないのか、あるいはなれなかっただけなのか。

23歳あたりの自分は今思えば滑稽であったし、戻りたいかと言えば戻りたいものでもない。

それくらい新たに覚えた感情が複雑だったとしても未だに私は春には桜に恋をし、夏に海を浴びて、秋には風に吹かれて、冬は雪に埋もれる。



まで書いて寝落ちした。
歳を重ねても若気の至りを超えることはあるし、青春も輝きも再来することを記録したかったのに寂しい気持ちがダダ漏れしているじゃないか。

伝わらないに頭を悩ます友人に
同じ経験してる人なんていないのだから
伝わる訳がない、お前だけのもの。
って言ってたの思い出した。

正しくは寂しいも青春も31歳にだってある。
微かな希……望………
知名な言葉は適してないからやめよう。

暴論だが女性は形を望めば肉体のリミットが短いので、独り身の野望が何らかの形で流れていく。
化学が発展すれば、と誰かが言っても本能が邪魔をするのだ。

まいったな。
参りました。
参ります。

他者との交流で宙ぶらりんの私はどこに行っても住めば都。いや、地元があるからそんなこと言えるのだ。
都になんてなってない仮住まいの繰り返し。

文にすると暗いが(困った)
私はすこぶる元気で仕方がない。
元気日記。

冷えた父の手をあたためる母の手

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