見出し画像

抱えた膝も冷たく




私がいた時、その扉の奥には誰かがいただろうか。ただ知る由もないのだ。


ここでよいお年をと告げずに明けてしまった。

年末には自分の誕生日に合わせて彼と北海道へ帰り、誕生日と数日は美瑛で時を流し
クリスマスには一緒に実家で過ごす予定であったが当日の朝に母が流行り病に罹ってしまい私たちはビジネスホテルで過ごし、衝撃的に美味いジンギスカンを味わうことになった。
ごめんな。

その後、忘年会を繰り返し
数年ぶりに泥酔して記憶を失くしたりもした。
記憶蘇る!みたいな栄養ドリンクを3本飲んだが失ったものは何一つ取り戻すことなどできなかった。
私はその日の晩、寝ながらずっとしゃっくりをしていたらしい。

年越しはほとんど初めてと言っていいだろう。複数人の友人達と年を越した。
その時の絶妙な空気感について未だに友人達と反省会したりする。

そして縫うように仕事をしていたので
今日やっと落ち着く兆しがみえて安堵の現在である。

今、外では冷たく強い風が木々や窓を揺らしている。どうやら最強寒波がくるらしい。
明日には雪も降るらしくそちらは嬉しいが、冬の風は受け付けない。
私は白い目で冷たい風を睨みつけている。

もう1月が終わるのか。
毎月毎月、もう終わるがすぐ来るので
私は月初めに「もう月末か」と自己催眠をかけないとタスクをこなせない。

まもなくバレンタインか。
小学生の時、ほとんどの男の子にバレンタインチョコを渡しに行っていたが当時から地味に誰にどのチョコレートを渡すか選んでいた気もしなくもないが、誰に渡す時もウブな顔をしていた気がする。
幼少期、保育園児の時はかなりビッチだったと思う。
親に止めて欲しいくらいだ。
彼らは私が複数人に配ってるのを知っていたのか、ハロウィンや七夕みたいな感覚だったのだろうか。
ちゃんと私に騙されていただろうか。

中学、高校、大学に上がるにつれて私自身がバレンタインに興味が薄れていく中で周りは友チョコという新しい風習が生まれ、私は渡さないのにくれる友人がいて少女漫画のモテ男気取っていた。

今の子達はどんなバレンタインを過ごしているのだろう。
コロナも流行り、潔癖症も増えた気がするこの社会の中で手作りのチョコレートは交際の合否は決まるのだろうか。

昔は私も当時の彼に手作りのトリュフを作っていたが、市販のチョコレートを溶かしてチョコレートを作るあれは一体。

そもそもバレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈ること自体、日本の習わし(という経済のこじつけ)らしいが。

その経済のこじつけに引っ張られ今や私もデパートで開催されるバレンタインフェアに一人で足を運んだりもする訳だ。
予約したり並んだりすることはないが、誰かに何がいいか吟味してる時間が心躍るのだ。


このメモを書いたのは一昨日。
現在iPhoneがリンゴループに入り
私は何度か絶望と解放を行ったり来たりするのだが、何より肌が荒れている方が悲しい。
肌荒れに被害届けを出したい。
iPhoneの故障だって被害届け出したい。

悲しいよぅ。


これが私が見た空

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?