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百鬼夜行東京アタック大作戦6の練り歩き

8月が終わると涼しくなって空気がどこか空っぽになる。
百鬼夜行と一緒に色々なものが浄化されて幻のように忘れていく。
だから覚え書きをする。

百鬼夜行東京アタック大作戦6の6は6年目の6。
小学生が卒業するまでの期間と同じ。
高校生くらいのころから関ってくれてる人は、心だけでなく顔立ちとか物理的に大人になっていて驚く。

百鬼夜行とは歩いて感じたり見えてくる東京を作品やパフォーマンスにしていくお祭り。
自分が活動してる都内で日々に一瞬の花火をあげ、生きている心地を実感するためのきっかけ。
街とのオンリーワンの繋がり方を体当たりで模索しているかんじ。

毎年のお祭りの他に、6年目ということで百鬼夜行に参加した人の中の6人それぞれとこのよのはるでコラボ展示や何かしらの会を開き、一年間を通して街でじっくりとしたアタックをしている。
お祭りの空間でスポットライトが当たりづらいささやかなアタック、営みを色んな人に知ってもらいたいため。
あと年齢も境遇も異なる人が入り混じりながら百鬼夜行する上で、このよのはるの価値観や感覚は柔らかく無垢でありたいので、一緒に何かする人の作品や人間性、何を思うのかなどを知っていき、コラボを通して新しい発見をしたり、知らないことを学んでいる。
このよのはるは街で動いてるので、一人一人と街のクッションになれるかなと思っている。

当日のお祭りと6回の展示はお互いに響き合っていい影響がある。
いずれも、自分一人では感じることができない、見ることが出来ない世界へ百鬼夜行に集まる人たちが連れて行ってくれる気がする。

○渋谷集合
電車に揺られ渋谷へ。すでに前夜祭をやって全身が筋肉痛と、なぜか片目が真っ赤になっていてもう妖怪になってた。視界がぼやけてる。
練り歩きを始めるとき、実はいつもドキドキしている。しょうごという仲間がいて二人だからやってこれてるのだけれど、
今年はしょうごはコスプレに全力をかけているようで、「チェキとるから途中でバラけるね」と言っている。
一参加者としてでも全然いいのだけど、今、目がよく見えない状態でしかも私は超方向音痴。これから何かを起こす前のドキドキに押しつぶされ、人を集めた張本人の立場を全部一人で背負わなくちゃいけない気持ちになり電車で涙が流れてきた。

この始まる前の深く沈んでいく気持ちはなんなんだろうといつも思っている。
参加者のわたしのような天気ちゃんが百鬼夜行前に思いを綴っていて、自分の気持ちを代弁しているかのようだった。
「百鬼夜行を通して何かが変わっているのだ。だけど毎年百鬼夜行前のこの時期はものすごく調子がおかしくなる。焦って、気持ちわるい悪あがきをいつも以上にしてしまうのだ。」
「夏は霊界と人間界が近くなるし、やっぱり追いかけてくるそれは死的な何かかもしれない。… でもそれだけじゃなく百鬼夜行には多分何かがいる。魔物か、妖怪か、お化け的な何か。それが私の真っ黒を濃くしている、気がする。」

自分だけではなく、百鬼夜行に関わる人は多かれ少なかれこんな気持ちになるのかもしれない。

でもやめないのは、苦しさ、居心地悪さを抜け出した先に全部が燃えきるような全身が満ち足りた感覚があるのを知っているからだ。体裁もしがらみも関係のない世界で一瞬と永遠を生きてる感覚がある。
肩の力を抜き少しずつ要領を覚えていく一方で、完全燃焼すること、何かに1000%懸けられることが喜びなのだ。
燃え切るための寄り道も楽しんで、もどかしさや沈んでいくのも大丈夫。

到着すると、夏が最後の力を振り絞るように襲いかかってきて暑かった。だから今年は最初に集まった人数は今までで一番少なかった。
続々と集まってきたみんなは少し緊張した顔で、かわいいおもちゃ、シャボン玉、楽器、カメラ、作品を用意する。だれとも話さずに自分のペースを保つ人もいる。涼しくなる冷感スプレーをかけあってこれから歩くぞ!とりりしく見えた。すごく滑稽で愛しい気持ちになった。

歩き始める。いつものこのよのはる路上の場所を通りスクランブル交差点へ。
渋谷のあちこちが思い出になっている。百鬼夜行3年目のときには演者とスクランブル交差点で待ち合わせた。
青になって人が入り乱れる中で人を探すのがとても楽しかった。
写真を撮る黒坂ひなちゃんが「信号が青になったらスクランブルで写真を撮ろう!」と言った。
その言葉で練り歩きのスイッチが入り、センター街のアーチが別世界の入り口に見えた。ここから私たちは妖怪になる。

○渋谷センター街

休日のセンター街を進む。道ゆく人の反応が今年は好意的に感じた。
練り歩きの人数が多すぎずちょうどいいのか、メンバーのキャラのバランスがキャッチーなのか。街でなにかする動画が当たり前に見かける時代になって慣れてきたのかも。
マヌケすぎる妖怪たちを見た時のマスク越しに隠れてながらウケてる顔や、よくわからないけど応援しちゃってる温かさ、なんじゃこりゃと驚いてる顔を見るのが好き。

なぜ渋谷から新宿へ歩こうと思ったのかを話したくなった。
数年前オリンピックが始まる前に街を綺麗に整える動きがあり、路上パフォーマンスをすることが難しくなったときがあった。
私はこれからどうしていこうかを考えていた。
そんなとき新宿で星男というBarをやっている櫻田宗久さんと出会って路上の話をしたら「店の前でやってよ」と言ってくれた。

面白いことが新宿にもあるかもしれないとピンと来てすぐに路上を始めた。
その感は的中し、新宿2丁目の路上がこのよのはるの新しいもう一つの居場所となる。
2丁目にいる人はここで自分を解放している。本能の動物みたいに吠えたりポジティブで楽しげだけれど寂しさもあって、温かくて優しい。
自分自身で生きてきた強い人が流れ着いた地だから、流れ者同士お互いをそのままリスペクトし合っている。
どこにでも行けるこのよのはるの裏を返せばどこにもしっくりくる場所がないように感じてきた。そんなこのよのはるをありのまま受け入れてくれたことにめちゃ感謝なのだ。

渋谷から新宿へ行き始めたことが、今までやってきたことと地続きの必然に思えるから、文字通り簡単ではない距離を歩いて渋谷から新宿に改めて辿り着きたいと思った。
このよのはるが行き来している渋谷と新宿の間には何があるのか。地面、建物、人、反応、におい。

○渋谷の味
センター街を抜けると一人の好奇心旺盛な男の子が
「これはなんですか!」としゃべりかけてきた。
「新宿まで歩いてるから一緒にいこう!」と私が言うと、

彼はなんだか面白い遊びを見つけた顔になり、
「おーい!新宿までいこうぜ!」と遠巻きで見ていた仲間に声をかけた。
毎年必ず、途中から練り歩きに乗っかってくる人がいる。
音楽にゆられながら楽しそうに歩いていた。

だが3、4分後後ろを振り返るともういなくなっていた。飽きたのだろう。
あまりに早すぎて笑っちゃった。
ノリとテンション、薄情や嘘が渋谷の味。

○迷子
気がついたらあっという間に一緒に歩いていた何人かとはぐれた。
amazon music の建物の向かいでしばらく待つ。

◯よさこいフェス

ひなちゃんがモスバーガーから出てきた。
店内に百鬼夜行っぽい人がたくさんいたらしい。
代々木公園はよさこいフェスの日で、ドドンと音が聞こえてきた。
見に行きたくてうずうずしてきたとき、はぐれていたニッカくんが前から映像を撮りながらやってきた。
「なんとなくここら辺かと思って」とふんわり。おお!とみんな歓声が上がる。

全く連絡を取っていなかったけど今回だけでなくニッカくんはいつも合流してくる。
感覚が動物みたい。

時間もなくなってきたので天気ちゃんたちとの待ち合わせを竹下通りに変更し、ルンルンでよさこいへ向かう。
全国からの地方車が次々代々木公園に吸い込まれる。
土日の代々木公園はいつもイベントをしていて姿が様変わりしてるから、毎回別の国に足を踏み入れるようだ。

揃った声と音楽、大きな旗と後ろから巨大なトラックが見守っていてよさこいかっこいい。
乃木坂みたいなアイドルチームもいて色々な種類がある。

見学する人の道を静かに進みながら、見学してる人も踊ってる人もチラチラこちらを見ている。
パンダは相変わらず人気者で、進みながら手を振っている。

道を抜けた先で男性から「すみません、写真撮ってもいいですか?」と声をかけられる。
この頃にはみんな集合写真に慣れ始め、いい感じになるようにそれぞれ立ち位置やポーズを無意識でとるようになっていた。
百鬼夜行の参加者はお互いをあまり知らない同士で言葉もかわしていないのだけど、一緒に歩くだけで何かが確実に交わってきている。
「よさこいじゃないですよね、バンドですか?」
と聞かれた。バンドに見えるのか。みな自分らしい格好をしていて個人であるタイプだけど、個のまま一体化する。

バンドということで、歩いていたメンバーを紹介してみる。

幸温望
今年初参加。おもに絵を描いていて、百鬼夜行ではコスプレで参加した。
何かやってることがいくつかある人はA面とB面を持つ一枚のCDみたいでいいなと思う。
本人がタフで真面目な侍みたいな軸を持ってるので、着替えは迷惑にならないようにトイレでせず、街にある個室を借りるなどレイヤーとして文化を守ろうと徹底する意識があった。コスプレのクオリティが高くてキャラとアニメへの愛がアニメを知らない私にも伝わる。
百鬼夜行が終わった後、振り返りの展示をして参加者の練り歩きに使っていた作品などを参加者から借りた。
搬出の時に幸温の持っていたマスケット銃を背負うと体が固定されてすごく重たく背負いづらかった。
きっと練り歩き大変だったね。
ギターケースに入れた方が持ちやすいよと言ってみたけど、あんな距離コスプレして銃持って歩くことほぼないか。

まぼろしパンダポイポイ
4年目の百鬼夜行は代々木公園だった。パンダが人気者すぎて着いてくる子どももいた。
それで「パンダはイベントになるからダメ」と注意されたくらい、パンダのポイポイには人を集めてしまう不思議な力がある。
誰が見ても中は暑いはずけれど、声をかけられたらどんな時でも可愛く振る舞い踊る。前に練り歩き中、通りがかりの男性がパンダをどさくさに紛れて蹴ってきた。すぐさまパンダは飛び蹴りをお見舞いしていて私が気がついた時にはその男に馬乗りになっていた。(早く気がつけなくてごめん)そんなことを想像してなかった男は半分恐怖と半分カッコ悪さを誤魔化すために笑っていた。自分の身を自分で守る強くて中身のあるパンダ。

かるかる(中山蒼太)
blind to demo という自分の作品を使って歩きながらのパフォーマンスをしている。
読めないプラカードを掲げ、見た人はなんとなくおしゃれでかっこいいと思うが、書かれているのは「Iam Artist」と「imposter(詐欺師)」が混ざったコラージュ。
この子はひねくれている。でも不快の中に快は存在する。反抗期の時に聴くハードロックやノイズみたいな、いけないものに直面したとき水を得た魚みたいに生き返る気持ち。
このプラカードは自分の体の大きさに合わせて作られているらしい。だから歩いているときにプラカードとかるかるが一体化して、壊れた主張を掲げる妖怪に見えた。
練り歩きはどうだったか後で聞くと、「恥ずかしかったけど楽しかった!はぐれたら一人でおかしい奴になっちゃうから頑張ってついてきた。練り歩きの人数があと数人少なかったら(自分が目立っちゃうから)やめてた。」
結構恥ずかしがってたみたい。

ルネ・シェヴィリコフスキ
詩の朗読。百鬼夜行の旗を預けたら真面目にずっと開いて歩いてくれた無口で純粋な人。途中大丈夫かと尋ねると首を横に振っていて、はじめて暑いと分かった。
言葉でのコミュニケーションでなく歩いてお互い馴染んでいくので仲良くなれたのが嬉しかった。

石原啓行
From京都。ヒロさんとは日本の色んなところで会い遊ぶ。
東京で会うのは初めてで、昔に東京きたときと全然変わってると言っていた。表参道の方に路上をしている人が等間隔でたくさんいて、占拠になってる人は警察がチョークでその場所を四角く囲ってマークしてたらしい。だいぶ前に、私が作るような編み物を道で売ってるおばあさんがいたとか最近表参道の路上の話を色んな人からよく聞く。

しらないひと。
東京近辺で何か面白いことがあればおばけの格好をして必ず現れて楽しむ人。
以前Youtubeで渋谷スクランブル交差点で行われた大規模な盆踊りの映像を見ていたら、回ってくる人の中にしらないひと。が映っていた。
練り歩きを楽しむグッズもたくさん揃えてあって可愛かった。

わたしのような天気
百鬼夜行で自分を試して全力を懸けてくれてる感じがする。
というより天気ちゃんは生きてること、自分を取り巻く全てに全力だ。
百鬼夜行も含めた一緒に外側と内側についてのイベントをした。考えてぶつかった作品に関わったことが私はとても贅沢な体験だった。

黒坂ひな
このよのはるを、百鬼夜行をそのまま写真にしてくれる。そのままと言うのは目に見えるままではなく、出ている空気感やそれぞれが大事にしてるものや思いを汲み取って愛いっぱいの眼差しで暖かくて優しくて魂のこもってる写真を残す。
体の一部を共有してるような、分かち合っている気持ちになる。つまり何も私たちが言わなくても最高の瞬間を見つけるし残すから、絶対的に信頼してるのだ。

宮澤響
去年の百鬼夜行の映像がとてもいい感じだった。夕刻の幻の竹櫓、雨が降りそうな夏の湿った風が感じられた。個性の強い一人一人が、本人が見せたいところとはまた違った側面からの魅力が映像で分かる。アーカイブというより1居合わせた宮澤が感じてとったものだと思った。
私たちこのよのはるが手の届かないところや見えてない目線に気がつかせてくれる。
ざわにし本人はといえば、年々仏のように寛容で優しくなってる。

NIKKA
去年出会った宮澤と今年は一緒に撮影をした。
撮影している人が二人いると、当たり前だけど撮影している人も映っていて、面も裏もない百鬼夜行のスタンスとよく合っている。
NIKKAくんも、持ち歩いてたカメラのついた一本の三脚が体の一部みたいに見えて、妖怪だった。
街中で逸れていても必ず連絡を取らずに野性の勘で合流してくる北海道生まれのすごい人。

◯代々木公園

公園面の入り口までやってきた。
夏を涼しくするミストが見えたので休憩する。
陽が傾いて空気が柔らかくなってきた。代々木公園は自然いっぱいでいつも何かが起こっていていて、行き場のない人や何処にも括られない面白い出来事を受け入れてきたビッグな公園。

今渋谷は深夜、安いお店が空いていないし駅近くにはトイレが一か所しかない。酔った人がトイレで寝てしまったら0か所だ。
たいていの公園は封鎖している。

夜の過ごし方の制限が年々増えるなか、代々木公園はひっそりと夜も開放してくれている。
水も飲めて疲れたら座るところもたくさんあり、森のにおいもして静かで落ち着く。
朝になるとたくさんのカラスが鳴いて朝ご飯を求め渋谷に向かう。渋谷のカラスの家は代々木公園なのだ。

終電後に路上も疲れて駅付近で夜の居方が分からないとき、何度もこの公園があって良かったと思った。
これからもこんな場所が渋谷に増えてほしい。

◯竹下通り

夕方になり竹下通りは10代で大賑わい。ここで歌って練り歩きをしようと、バテてきた体をアドレナリンに任せて進む。

パンダとしらないひと。がついて来てくれた。前には宮澤、横にはNIKKAくんが映像を2手で撮っている。
歩いていると一人のアフリカ系の男性と目があった。7年前からいつも渋谷の路上で会う人だった。
正確には彼が道を通り過ぎる時にお互い「今日もいるな」と挨拶半分、アイコンタクトを取り合ってる感じ。
いつもアフロヘアに飛行機やタワーなど毎回違うフィギュアをくっつけていて、どこかユニークで怪しい顔つきが気になる存在だった。

「あ!」と声が出た。やっぱり原宿で働いてたんだね。
彼はうちわを電信柱に当ててリズムをとって「イェア!」と喜んでいた。

後日また道であった時には「この間いたね」とちゃんと声を掛け合った。
一歩、数年越しに関係が進んだようだ。

わたしのような天気たちとついに合流できた。
もう時間がないので原宿駅から電車を使うことにした。百鬼夜行で初めて乗り物に乗る。

歩いて渋谷から新宿を感じることが目的だったが、流れに身を任せた。

電車で別移動していた天気とカイくんの話を聞く。
ハムスターの着ぐるみは目が空いてないので、音で街を感じていたみたい。
見えないぶん、冷たい目線などを感じることもなく、興味がある人が近づいてくるので「So Cute!」とか好意的な声だけが聞こえてきたという。
優しいハムのシェルター。今はどこにいても何でも見れちゃうし浴びちゃうから、シャットダウンしつつ、そっと音を聞くようなあり方がいいのかも。
補助のカイくんは全部見ているので街での反応をかなり楽しんでいた。二人のこの日の物語をいつか聞きたい。

◯新宿歌舞伎町
新宿南口ライオン像で夜の部からの人とも待ち合わせ。
久しぶりに会うもりとくん、つい昨日の前夜祭で会ってたにしのんと新潟からちほちゃんなどが入り混じって続々と合流し、16人くらいで本日最後の練り歩き。
歌舞伎町は人間レストランへ。

夜の部はあっという間で冷房が涼しくて力が抜ける。演者にあとは任せて流れを見ていた。どのパフォーマンスも、出来事もあったかくて手探りで偶然だらけで終わった頃には今年も満たされた。今年も全部のパワーを出すことが出来た。夜の部のことも、そこにいた人のこともたくさん覚えていて残したいのだけれど、あと三時間で旅にでる時間が来てしまう。余力が出たら前夜祭のこと、夜の部のことを残したい。ごめん!

あとがき、百鬼夜行とその周辺の覚えがき

◯強さを脱いだまま街へ出かけたい

今年の練り歩きの映像を見ていて、自分がときどき冷酷な顔をしていたことに気がついた。

参加者一人ひとりチャーミングで魅力的、その人でしか出来ないものがあるから、一人一人にとっての練り歩きが出来てるか寄り添って引き出せたらと思ってた。
一見不思議な営みを室内じゃなくて街でやる上で居合わせた人に勘違いされないように、人としてのルールやモラルが守られているかに注意を払ってた。
それを気負う気持ちが多いとき、表情に鎧をつけてた。

星男で路上してるときに、むねさんが「女性一人で路上するのって大変なんだよ!まだまだ世の中は女性がマイノリティーなの」と私のことを人に説明してた。

自分は女性として路上の困難を意識してなかったけれど、路上をやる前より顔つきが少し男性的になったと思うことがあった。

それはもしかしたら社会、路上、街と対峙するときに多少のダメージにも屈しないマッチョなマインドに変えて強くなろうとしたのかも。
私が屈強な男だったら言われないであろうことが道でたくさんある。でも太刀打ちするために強くならず、
そろそろ違うベクトルで豊かにありたい。
だから今の私のささやかな目標は、強さの鎧を外して素顔でいる勇気をもつことなのだ。

◯兆し、予感

今年の春、渋谷ヒカリエでトークとライブした時に何気ない話の中で私が、「渋谷の道でやって来たことが渋谷で仕事になるのは嬉しい」と言った。
「これからは面倒くさくて面白い活動が必要になってきて、お金にもなる時代ですよ!」というような明るい返事を聞いた。

それを聞いた時に、本当にそうなるだろうな、とすんなり思えて希望が持てた。光のような気持ち。この先の東京は意外と明るい。
これから個人個人の血の通った思いやかけらがこの時代らしくホットに汲み取られて、街が面白くなっていく予感がした。

何より今年の百鬼夜行での練り歩きの時に感じた、街にありのままで受け入れられてる感覚はやっぱりその兆しなのかもしれない。
東京の道を拠点としてきたこのよのはるで、まだまだできることもやりたいこともある。面白いと思ったことに直感でやり続けてみようと思う。

何よりどんなに危険でも不条理でも寒くても、やっぱり夜な夜な路上に来てしまう。どうしても道が好きだ。
路上も百鬼夜行も小さなムーブメント。自分のために人や街に繋がって起こすユニークな奇跡。
関わってくれた人たちへ。お疲れ様、今年も本当にありがとう。永遠みたいな一瞬をこれからも遊んでいこうね。


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