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「ベティブルーと純粋(ピュア)の解放」

「ベティブルー」というフランスの映画がある。初めて見て以来、時折この映画のタイトルが頭に浮かぶ。
「ベティブルー愛と激情の日々」は原題を「37°2 le matin」(37度2分・朝)といい、これは基礎体温を示しているそう。フランスでは1986年に公開され、翌年日本でも上映されたようだが、もちろんその頃に映画館で見たというわけではない。
そうではないのだが、これはとても鮮烈なエピソードとシチュエーションで、それがまるで「ベティブルー」を含めた一つの出来事のように、私の中に残っているのだ。

もう何十年も前のことなので、共犯の我々も、当の恩師も、どうか咎めないで聞いてほしい。
R指定された「ベティブルー」は、冒頭から男女が裸で重なり合う。それも数分間ただひたすらにだ。青白い部屋で、シーツが擦れる音と混ざり合う小さな吐息たち。低い定点カメラのような印象はまるで自分がその目撃者であるかのようだった。
その出だしだけで忘れようもないのだが、さらにここが学校の教室で授業中なのだから尚更忘れようもないのだ。もう一度言おう、これは授業だったのだ。
高校3年の冬の終わりのこと。
暖房のきいた部屋で温かい飲み物を片手に始まるソルフェージュの授業、担当は部活の顧問で恩師だ。
部屋のカーテンが全て閉じられていく。
プロジェクターに電源が入り、ホワイトボードの前に大きなスクリーンがゆっくりと降りてくる。
本校舎と渡り廊下で繋がる別棟、芸術学科のための部屋が多く4階はその全てが音楽のためのものだった。
ピアノが十数台、そのうち四台はグランドピアノ、それらは一番大きな大きなホールルームと控室以外は小さな個室に収まっていた。まるでスタジオのような少し暗い通路、床はカーペット、まだまだすべてが真新しい。
授業も部活もその殆どを別棟で過ごした高校生活。珍しい科目に面白い環境、新しい世界、感じて得たものは他では出会えないものが多かった時代。風変わりな恩師は映画鑑賞を選んでこう言った。

君たちに送る最後の授業はこれだ!

そう言って流れ始めたのが、この「ベティブルー」なのだ。

映画は120分だから、何回かの授業に分けて見ることになるのだが、その度に音楽室を出て廊下を渡りクラスの教室に戻った時の、ふわふわした感覚が、何とも言えなかった。
まるで別の世界に来たような、いや、戻ってきたというべきか。
世界は二つあるのに、どちらも自分にとっては本物で、日々と日々が私の中で入り交じり揺さぶってくるのがわかった。

上映中の薄明るい部屋の、差し込む細い光が妙に物語とリンクして体温を感じる。
映画館になる場所は、どうしてか寒い。
反して身体と心の中奥深くは、まるで青い炎が灯るようにじくじくと熱いのだ。
18歳で見た「ベティブルー」は、まるでその青い炎そのものだ。冒頭のセックス、過激でバイオレンスなシーン、可愛くて儚げでどこまでも危なげな匂い、激しく揺れ動く心象風景、痛み、悲しみ、そして愛。どこまでも愛。
破滅のようにも、若い私の目には映った。だけど美しかった。それらすべては、美しく愛おしく自由で開放的だった。純粋だったのだ。
けたたましくも美しい炎で描かれたこの映画を、先生はどうして私たちに贈ることにしたんだろう。
真意を突き止めたことは無いが、だけれどこれはとても恩師らしく、そして卒業を待つ私にとって、記憶に刻まれる最高の餞となった。

この思い出は私にとって、映画とは経験なんだということの最たるものである。
ただの物語でも、映像作品でもない、賞レースや評価評論も、経験という映画の存在価値には遠く及ばない。
そして、美しく激しく純粋なこの映画を思い出す時、心のまま、魂のままにタクトを振る恩師の姿もまた、陽炎のように浮かぶ。
どんなに熱に浮かされようとも、歳月に流れようとも、忘れてはいけないものが、そこにはある。
間違いなく、この経験は救いであった。
私の中に、今も揺らめくベティの残像は、どんな茨の道でも決して私を見捨てる事はなかった。
その証拠にこうしてたまに、思い出しては「ベティブルー」と共にあるあの時間と景色が、私を震わせて抱きしめて微笑んでいる。
静寂の中に佇む熱情が、手を差し伸べている。
心のまま、魂のまま、生きていける。
解放された純粋が、今日も自由に、青い空を駆け回っている。